ホリショウのあれこれ文筆庫

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第403話 平家に怯えた伊東祐親

序文・祐(すけ)だらけでややこしい

                               堀口尚次

 

 伊東祐親(すけちか)は、平安時代末期の武将であり、伊豆国伊東の豪族。工藤氏の6代目であり、伊東氏の祖でもある工藤祐隆(すけたか)の孫にあたる。東国における親平家方豪族として平清盛からの信頼を受け、平治元年の平治の乱に敗れて伊豆に配流された源頼朝の監視を任される。しかし『曽我物語』などの物語類によると、祐親が大番役〈京の警護〉で上洛している間に、三女〈八重姫〉が頼朝と通じ、子・千鶴丸を儲けるまでの仲になってしまう。祐親はこれを知って激怒し、平家の怒りを恐れ千鶴丸を松川に沈めて殺害。さらに頼朝自身の殺害を図った。祐親次男の祐清(すけきよ)が頼朝に知らせ、頼朝は夜間馬に乗って熱海の伊豆山神社に逃げ込み、北条時政の館に匿(かくま)われて事なきを得たという。なお、時政の正室は祐親の娘であったため、祐親から見れば娘婿の裏切りにあったことになる。祐親はこの前後に出家している。

 伊東荘を領する工藤祐隆の嫡男であった父・伊東祐家(すけいえ)が早世(そうせい)〈早死に〉すると、祖父・祐隆は後妻の連れ子である継娘(ままむすめ)〈血の繋がりがない娘〉が産んだ子である伊東祐継(すけつぐ)を養子とし、嫡男として本領の伊東荘を与え、同じく養子にした孫の祐親には次男として河津荘を与えた。嫡孫として約束されたはずだった総領の地位を奪われたことに不満を持つ祐親は、祐継の死後にその子・祐経(すけつね)が上京している間に伊東荘を奪った上、祐経に嫁がせた自身の娘・万劫(まんごう)御前とも離縁させてしまった

 これを深く恨んだ祐経は安元2年、郎党に命じて狩りの場にいた祐親を襲撃させる。刺客の放った矢は祐親を外れたが、共にいた嫡男・河津祐泰(すけやす)は射殺され、これがのちに祐親の孫達が起こす「曽我兄弟の仇討ち」の原因となる。

 治承4年に頼朝が打倒平氏の兵を挙げると、祐親は大場景親らと協力して石橋山の戦いにてこれを撃破する。しかし頼朝が勢力を盛り返して坂東を制圧すると、逆に追われる身となり、富士川の戦いの後捕らえられ、娘婿の三浦義澄に預けられる。頼朝の妻・北条政子が懐妊した機会を得て、義澄による助命嘆願が功を奏し、一時は一命を赦されたが、祐親はこれを潔(いさぎよ)しとせず「以前の行いを恥じる」と言い、自害して果てた

 伊東祐親・北条時政河津祐泰・曽我兄弟それぞれの関係が入り組んでいる。