ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第412話 武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり

序文・武士は食わねど高楊枝

                               堀口尚次

 

 武士道とは、日本の近世以降の封建社会における武士階級の倫理・道徳規範及び価値基準の根本をなす、体系化された思想一般をさし、広義には日本独自の常識的な考え方を指す。ただし明確な定義は無く、時代のほか、身分や地域によってもその解釈は大きく異なる。また理想化された美学・宗教的な側面もあり、その実像とは大きく異なる場合がある。

享保元年頃、「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」の一節で有名な『葉隠(はがくれ)』が佐賀藩の山本常朝(つねとも)によって著(あらわ)される。これには「無二無三(むにむさん)」に主人に奉公す、といい観念的なものに留まる「忠」「義」を批判するくだりや、普段から「常住死身(しにみ)に成る」「死習う」といったことが説かれていたが、あまりに極端なうえ藩政批判などもあったため禁書に付され広く読まれることは無かった

幕末の万延元年、山岡鉄舟が『武士道』を著した。それによると「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専(もっぱ)ら武門に於て其著しきを見る。鉄太郎〈鉄舟〉これを名付けて武士道と云ふ」とあり、少なくとも山岡鉄舟の認識では、中世より存在したが、自分が名付けるまでは「武士道」とは呼ばれていなかったとしている。

 武士道に通ずる考えは、武士〈平安時代以降〉の行動の規範意識に基づき、鎌倉時代に本格的に発達した。すなわち武力を持つ者は鍛錬・行使・身の処し方などを徹底すべきであり、独りよがりや私事へ存念するような見苦しいものではあってはならないとする日本独自の規範意識を指す

 独りよがりであってはならないとの考えは、次第にその他者の対象はより普遍へ向かい、武士は命をかけて組織へ殉ずることが近世には美化されていった。

 江戸時代に、支配階級である武士には文武両道の鍛錬と自分の命を以って徹底責任を取るべきことが求められるに至った。武士が私事で刀を抜くことは重大な責任を問われ、生涯、刀を抜かない武士も少なくなかった。また民衆騒動が起きた領地の藩主へ幕府より切腹が申しつけられることがあった。

 このことから分かる様に、吉良上野介への怨恨という私事で、殿中で抜刀した浅野内匠頭の行動は、明らかに武士道に反する行為なのだ。