ホリショウのあれこれ文筆庫

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第431話 大本営発表

序文・政治と武力(軍事力)の分散が目的で統帥権を独立させたはずが・・・

                               堀口尚次

 

 大本営は、日清戦争から太平洋戦争までの戦時中に設置された日本軍〈陸海軍〉の最高統帥機関。その設置は統帥権の発動に基づくとされ、平時には統帥部〈陸軍参謀本部及び海軍軍令部〉や陸海軍省に分掌(ぶんしょう)される事項を一元的に処理するために設置された。

 大本営会議は天皇臨席のもと、陸海軍の統帥部長〈参謀総長軍令部総長〉、次長〈参謀次長・軍令部次長〉、それに第一部長〈作戦部長〉と作戦課長によって構成された。統帥権の独立により、内閣総理大臣外務大臣ら、政府側の文官は含まれないまた軍人ながら閣僚でもある陸軍大臣海軍大臣は、軍政との関連で列席できたが、発言権はなかった。なお、大元帥たる天皇は、臨席はしても発言しないのが慣例の御前会議とは対照的に、細かい点まで意欲的に質問することがあり、会議が形式的に流れるのを嫌った節がある。

 日中戦争時には政軍間の意思統一を目的として、大本営政府連絡会議が設置された。ただ議長たる内閣総理大臣含め、誰もイニシアティブを発揮し得ず、さらに陸海軍のセクショナリズムも作用して、戦争指導や情報共有に重大な欠陥をもたらした。

 戦果に関する広報も、陸海軍部それぞれの報道部で扱っていた。当初は航空写真を用いて詳密に説明するなど信頼度は高かった。しかし1942年中盤〈具体的にはミッドウェー海戦敗北・撤退とこれに伴うMI作戦中止〉以降の戦局悪化に伴い、戦果を過大に被害を軽微に偽装したり、撤退を「転進」、全滅を「玉砕」と言い換えるなど美化して聞こえをよくするなど、プロパガンダに走った大本営発表

 太平洋末期の敗色が濃厚になるにつれて、さも戦況が有利であるかのような虚偽の情報が大本営発表として流され続けた。このことから現在では、権力者、利権者が自己の都合の良い情報操作をして、虚報を発信することを慣用句として「大本営」「大本営発表」という表現が用いられる。

【総括】戦時中の日本は、議会制民主主義であり内閣総理大臣が民主的に選出されており独裁国家ではない。しかし統帥権独立により大本営が内閣より上の機関としてあり、国務大臣たる陸軍大臣海軍大臣も口出し出来なかった。東条英機は、内閣総理大臣でありながら、統帥権も掌握して権力を行使したのだ。