ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第440話 能崎事件の禍根

序文・群集心理と鬼畜米英がもたらしたもの

                               堀口尚次

 

 能崎(のざき)事件は、昭和20年に起きたアメリカ軍兵士に対する私刑殺害事件。事件の呼称は第152師団長だった能崎清次陸軍中将からとったものである。事件現場が佐原町だったことから、佐原町事件とも呼ばれる。

 昭和19年後半から日本本土空襲が行われるようになった。硫黄島が占領された昭和20年3月以降、関東地方各地の都市は毎日のように米軍機による襲撃を受けるようになっていた。

 千葉県八日市場町上空にP51の編隊が襲来、機銃掃射などを加えた。やがて編隊は九十九里方面に離脱していったが、うち一機が迎撃に上がった日本軍戦闘機と交戦し被弾、久賀村に墜落した。撃墜された搭乗機の操縦士だったジョン・スキャンラン・ジュニア アメリカ陸軍中尉〈当時・24歳落下傘で脱出したが降下中に日本軍戦闘機から銃撃を浴び、降下した久賀村では村人や軍人から竹槍銃剣で刺され重傷を負い捕らえられた

 スキャンラン中尉は第152師団司令部が置かれていた佐原町立国民学校一部校舎にトラックで連行され、簡易治療を受けた後に捕虜尋問を受けた。その後、スキャンラン中尉は両手を縛られ、一部校舎裏手にある校庭に出された。町では「アメリカ兵が捕まった、小学校へ連れて行かれた」などという噂が流れ、次第に一部校舎に見物人が集まってきた。軍人は戸惑いと憎悪が入り混じった目でスキャンラン中尉を見つめる町民の前で「お前らの敵だぞ」と言い放って一部校舎に生えていた桜の枝を2本折ると、枝で2、3回中尉の体を叩いて見せた。それを見て一挙に興奮した町民達はその桜の枝を奪い合うようにして次々とスキャンラン中尉を叩いた。激しい憎悪に駆られ叩きつけたため桜枝はすぐに折れてしまった。そして身動きができないほどの町民が集まったため、4、5人の軍人たちは倒れ込んでいたスキャンラン中尉を起こし、学校橋対岸にある広い校庭へ引きずって行った。

 対岸の広い校庭には、さらに多くの町民が集まりはじめた。町民達の中には米軍機による度重なる空襲にさらされ身内を失ったり、戦地で身内を亡くした者も既に多く、「息子のかたき」、「父ちゃんを返せ」などと叫びながら、女性・子供・老人を中心とした数千人の群集が取り囲んだ。やがて町民の誰かが持ってきた竹槍や棒で代わるがわるスキャンラン中尉を叩きはじめた。校庭にあった朝礼台の上では拡声器を持って「もっと叩け、もっと叩け」と煽動(せんどう)する町民もいた。叩かれる合間に衛生兵がカンフル注射を2、3本打ったが、最後の注射には反応はなく息絶えた。それでも気の収まることのない町民はスキャンラン中尉を叩き続け、数時間余りの暴行のすえスキャンラン中尉は死亡した。

 中尉の亡骸は浄国寺に隣接する無縁仏を埋葬するための共同墓地に荒縄で縛られた状態で逆さまに埋められ、其の上には彼が履いていた靴が供えられた。

 GHQによる事件の本格的な調査は大戦後の昭和21年頃から行われはじめた。殺害に関係があるとみなされる軍人・町民をはじめ、町長や警防団長などの町の有力者が次々とGHQの事情聴取を受けた。町では「うかつにしゃべると、戦犯として進駐軍に引っ張られるぞ」と囁かれ、学校でも「一切このことについては言うな。言えばアメリカに連れて行かれ奴隷にされるぞ」と箝口令が敷かれ、町民の中には精神異常者を装い聴取を免れた者や、町民による流言や密告も行われた。

 横浜軍事法廷においても軍人・町民同士によって罪のなすり合いが行われるなど混乱を極めた。最終的に裁判では師団長の能崎清次陸軍中将、佐原町民7名には直接関与はないと認められて無罪となった。一方、スキャンラン中尉を司令部から出すことを許可した参謀長が重労働40年の実刑を受け、他の2名の軍人が重労働の実刑、他の町民4名が重労働1年の実刑を受け幕を閉じた。

 B-29の搭乗員に対しては、救出前に日本人に見つかったとしても「万一日本国内に不時着した場合でも、日本の市民の捕虜に対する扱いは至極人道的なものなので抵抗しないように」と説明して不安を和らげようとしていた。「日本上空でパラシュート脱出する場合、軍隊に拾われるように祈るしかない。民間人では、殴り殺される可能性がある」とうわさされていた。東京大空襲以後、非戦闘員への無差別爆撃が激化すると、B-29搭乗員は日本の一般市民の憎しみを一身に受けることとなり、まずは、発見した一般市民から私刑で暴虐な扱いを受けることが多かった。なかには能崎事件のように、一般市民によるリンチの末にB-29搭乗員が死亡してしまうこともあった。このため憲兵隊や警察は第一にB-29搭乗員の身柄確保に努めた。しかし身柄確保されても暴行を受けることもあり、軍人や軍関係者が関与し殺されたB-29搭乗員もいた

【総括】戦争の恐ろしさ・愚かさ・醜さは、人間の行動に凝縮される。人間の隠れた本性が現れてしまったことは、あさましい限りだ。 

※新潟で高射砲により撃墜され捕虜となったB-29のクルー、住民にリンチされているところを軍に助けられている