ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第460話 軍部の政治介入に抵抗した文官

序文・言論で戦う

                               堀口尚次

 

 斎藤隆夫〈明治3年 -昭和24年〉は、日本の弁護士、政治家である。帝国議会衆議院において、立憲主義・議会政治・自由主義を擁護し、弁舌により軍部の政治介入に抵抗した。

 粛軍演説は、昭和11年5月7日に帝国議会衆議院斎藤隆夫が行った演説。「粛軍に関する質問演説」ともいう。寺内寿一陸軍大臣に対する質問演説。「革新」の実体の曖昧さを突き、広田内閣の国政改革の大要の質問を行った後、軍部革正(粛軍)を軍部に強く要請すると同時に議会軽視の傾きのあった軍部への批判演説である。斎藤の演説は、軍部批判にとどまらず、軍部に擦り寄っていく政治家に対しても、強烈な批判を浴びせている。演説後半では二・二六事件を取り上げ、青年軍人の右傾化と軍人の政治介入を批判するとともに、五・一五事件に対する軍の対応が事件の遠因となったのではないか、と指摘している。この演説は1時間25分に及ぶ長演説となった

 反軍演説は、昭和15年2月2日に帝国議会衆議院本会議において立憲民政党斎藤隆夫が行った演説。日中戦争支那事変〉に対する根本的な疑問と批判を提起して、演説した。この演説により、3月7日、斎藤は衆議院議員を除名された。この経緯は言論弾圧としても扱われる。なお、「支那事変処理を中心とした質問演説」や「支那事変処理に関する質問演説」を、一般的に「反軍演説」と称している。

 腹切問答を行った浜田国松や人民戦線事件で検挙される加藤勘十とともに反ファシズムの書籍を出したり卓越した弁舌・演説力を武器にたびたび帝国議会で演説を行って満州事変後の軍部の政治介入、軍部におもねる政治家を徹底批判するなど立憲政治家として軍部に抵抗した

 国家総動員法に関しても、同僚議員に「この案はあまりに政党をなめている」「僕は自由主義最後の防衛のために一戦するつもりだ」と語っている。

 「ネズミの殿様」とのあだ名で国民から親しまれ、愛され、尊敬された政治家であり、その影響力は尾崎幸雄、犬養毅に並ぶと言っても過言ではないほどであった。あだ名の由来は小柄でイェール大学に通っていた時に肋膜炎を再発し肋骨を7本抜いた影響で演説の際、上半身を揺らせる癖があったことによる。