ホリショウのあれこれ文筆庫

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第482話 朝日平吾と安田善次郎

序文・消された陰徳

                               堀口尚次

 

 朝日平吾明治23年 - 大正10年は、日本の政治活動か・右翼・テロリスト。明治の実業家・安田善次郎安田財閥の祖〉を暗殺した犯人として知られる。

 大正10年、前年3月の戦後恐慌で自身は株で大損し、安田財閥の首領・安田善次郎が株を一手に買い占めてまんまと2,000万円の利益を得たという黒い噂を耳にした。この事が善次郎暗殺を企てるきっかけとなった。

 9月27日、善次郎の住む神奈川県中郡大磯町字北浜496にある別邸・寿楽庵に知り合いの弁護士を名乗り、労働ホテル建設について談合したいと申し入れたが、面会を断られた。翌9月28日に門前で4時間ほど粘ったところ、面会が許された。そして午前9時20分ごろ、自宅の応接間で所持していた刃渡り八寸〈約24cm〉の短刀で善次郎を刺殺した。しかし、家政婦が警察に通報している間に朝日はその場で所持していた剃刀(かみそり)で咽喉(いんこう)部を切り自殺を遂げた。享年31。朝日は生涯独身だった。

 朝日は犯行の直前に投宿していた長生館の女将宛てに『宿賃も支払わずにこんな事になったが、非常に相済まない』との、また佐賀県の父親には『非常な罪を犯す不幸を許して』との手紙を折(おり)鞄(かばん)の中に入れていた。また斬(ざん)奸(かん)状と遺書も持参しており、斬奸状には、「現代語訳:悪徳豪商の安田善次郎は巨万の富を築いたがその富豪としての責任を果たしていない。国家社会を無視し、貪欲にして卑しくケチで長らく民衆の恨みを集めている。私はその頑なさを哀れみ仏心と慈しみの言葉で諭そうとしたが悔い改めることはなかった。そのため天誅を加えて世の戒めとする」と記されてあったという。この事件の約1か月後に起きた原敬暗殺事件は、この朝日による事件に刺激を受けたものといわれる。

 朝日の葬儀には、全国の労働組合や支援者が善次郎に負けない葬儀をしようと駆け付け、盛大な物になった。朝日に暗殺された善次郎は、東京大学安田講堂日比谷公会堂千代田区立立麹中学校校地など寄贈をしていたものの、「名声を得るために寄付をするのではなく、陰徳でなくてはならない」として匿名で寄付を行っていたため、生前はこれらの寄付行為は世間に知られず、それが朝日による暗殺の一因になった。安田講堂は死後に善次郎を偲び、一般に安田講堂と呼ばれるようになる