ホリショウのあれこれ文筆庫

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第499話 鯖大師

序文・手に鯖を持ってます

                               堀口尚次

 

 鯖(さば)大師とは、阿波国を中心として伝わる高僧伝説であり、日本の各地に波及した民間信仰である。

 鯖大師の伝説は、次のような話である。

 『あるとき、旅の僧が馬に塩鯖を積んだ馬子(まご)〈馬の背中に貨物や人を乗せて輸送に従事する職業〉に出会い、鯖を乞うが馬子は僧を嘲(あざけ)りその願いを拒否する。馬子が去ろうとしたところ、僧が呪歌を唱えると馬が腹痛を起こし苦しみ始める。馬子が謝って鯖を与えると僧は再び呪歌を唱え、馬はもとに戻った。』

江戸時代以前に阿波国に伝わっていた伝説では、この僧は行基(ぎょうき)とされていた。土佐国との境に程近い八坂八浜と呼ばれる難所が伝説の舞台とされており、その場所に建てられた行基庵という庵が鯖大師信仰の本山とも言える八坂寺の縁起となっている。四国に伝わる呪歌は「大阪や 八坂坂中 鯖ひとつ 行基にくれて 馬のはらやむ」というもので、「やむ」は「病む」と「止む」の掛詞である。高野(こうや)聖(ひじり)や勧進聖はこの伝説や呪歌を日本各地に広めて歩いたと言われる。そのため、この伝説は青森県から九州地方にかけての日本各地で再話されており、場所が変わったり、馬が牛になったり、行基が固有名の無い単なる大師と表現されたり、尼になったりする派生形も存在する。行脚する聖が消滅した明治時代以後には、僧を空海とする伝説が敷(ふ)衍(えん)〈広まる〉し、鯖大師伝説は弘法大師伝説のひとつへと変容していった

 鯖大師の大師像は、茣蓙(ござ)〈イ草で織った敷物〉を背負った立ち姿で笠をかぶり、左手に数珠、右手に鯖を一匹掲げた姿をしており、鯖を手にしている部分を除いては旅装の弘法大師像と似た特徴を持っている。かつては路傍や峠の入口に鯖大師の石仏が置かれ、漁業や陸運業の安全と繁盛、牛馬の加護を願う対象となっていた。また、東北地方では牛馬の腹痛を癒やす呪いとして行基の呪歌が伝えられていた。近代以後に大師信仰に収容された鯖大師は、札所となっている寺院や大師堂に収められ参拝の対象となっている。

 私は過日、名古屋市中区という大都会の中心街で、龍泉院というビル群に囲まれたお寺に「鯖大師」を発見したのだ。非常に違和感があったのを覚えている。