序文・供給過多ではないか?
堀口尚次
私が幼少の頃は、コンビニはなかった。コンビニどころかスーパーもなく、母親たちは、市場(いちば)〈〇×センター〉と呼ばれた各商店の集合体のような場所で買い物していた。駄菓子屋は沢山あり、子供のたまり場だった。多分小学校の途中ぐらいからスーパーが出来、色んな商品が出口前の最後のレジで会計できる仕組みに便利さを覚えた。
その後二十歳になる頃に、コンビニエンスストアが出来たような気がする。しかし当時は、酒やタバコは販売しておらず、営業時間も午前10から午後5時までだったと思う。
そして色んな名称の地元コンビニが台頭するが、私の地元愛知県では「サークルK」が、東京からは「セブンイレブン」が、大阪からは「ローソン」の波がおしよせ、地元の雄だった「サークルK」も「ファミリーマート」に飲み込まれていった。
今やコンビニは、酒・タバコの販売は元より各種商品の販売〈弁当・総菜・おでん〉・書籍・銀行ATM・各種公共料金支払い・宅配商品取り扱いなど、ありとあらゆる客のニーズに対応し続けている。そしてトイレやイートインスペースなど直接販売と関係のないサービスにも対応している。その最たるものが「24時間営業」なのかも知れない。
しかし人件費の高騰や人員確保の観点から、店員〈アルバイト〉の手配に四苦八苦しているよに見受けられる。光熱費も利益を減らす要因に間違いはなく、長時間営業は「人員確保」と「光熱費」に多大な影響をもたらしているだろう。
利便性の追及こそが、コンビニ発展の真髄であったことは間違いないだろう。しかし、ここらで立ち止まってはどうだろうか。私たちは、真夜中にそれほど買い物が必要な生活になってしまったのだろうか。勿論昔のように、午前10時開店・午後5時閉店に回帰しろとなど言うつもりはない。セブンイレブンがその名称を打ち出した原点である『午前7時から午後11時閉店』でいいのではないか。当時のCMは『セブン♪イレブン♪いい気分~あいててよかった~』である。近年問題になっている、過重労働はファストフード・チェーンだけでなく、薄利多売型の小売業やサービス業に万延していると思う。私たちは、便利さと引き換えに失ったものを、取り戻す時がきているような気がする。
※画像と本文は関係ありません