ホリショウのあれこれ文筆庫

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第501話 旧逓信省電話装荷線輪用櫓

序文・現存する電話施設遺構

                               堀口尚次

 

 「旧逓信(ていしん)省電話装荷線輪用(そうかせんりんよう)櫓(やぐら)」は電話施設の一種だ。電話中継のための装荷ケーブルは、地下式と架空式がある。架空式の場合、装荷ケーブルを渡すために、装荷線輪用櫓と木柱が造られた。愛知県東郷町の装荷線輪用櫓は、この装荷ケーブル方式による長距離市外電話が使用されていたことを示す希少な電話施設遺構である。

 グラハムベルが電話を発明したのは1876年〈明治8年〉、その23年後1899年〈明治32年〉には東京-大阪・神戸間の市外電話回線が開通しているが、この当時は架空裸線であるため通話距離に限界がありました。その後1900年〈明治33年〉から1913年〈大正2年〉にかけてアメリカで開発された装荷ケーブルと真空管中継器方式により、これらの問題が解決し長距離通話が可能となった

  この方式は通話回線に多数の芯線を絶縁して束ねたケーブルを用い、一定の距離ごとに信号を増幅させ、ゆがんだ波形を整形する施設として真空管中継器を備えた中継所を設置し、音声の減衰を防ぐために中継所間に一定の間隔で装荷線輪〈ローディングコイル〉という装置を挿入するものだった。 この装荷ケーブル方式による日本で最初の通信回線が1928年〈昭和3年〉、東京-神戸間609.4kmに開通しました。中継所は80km間隔で、東京を基準として横浜、足柄、江〈清水〉、見附〈磐田〉、豊川、名古屋、亀山、膳所〈大津〉大阪の9カ所に設置された。

 中継所と中継所の間には1830m〈6000フィート〉間隔で装荷線輪が設置された。この装荷線輪を置く施設として架空線用に建設されたのが鉄筋コンクリート製の櫓で、三重県四日市の南小松のものは長さ4100mm、幅3200mmの四隅に配置した高さ約6500mmの4本の柱(440mm角)と、柱の中間に装荷線輪を置くプラットフォームを設けた構造となっている。 装荷線輪の櫓と櫓の間は多数の木柱で渡され、電柱の高さは7.3m、間の距離は30mが標準で、川越など距離のある場合は鉄塔を建てて渡した。

 私は過日、愛知県東郷町に現存するものを確認してきた。名古屋市緑区と隣接する該当地は、住宅街とはいえ僅かな畑が残る地域だった。回りの住宅地からひときわ異質な空気を醸し出す鉄筋コンクリートの櫓が歴史を物語っていた。