ホリショウのあれこれ文筆庫

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第533話 空母と沈んだ海軍中将・山口多門

序文・自分の空母を雷撃処分させた

                               堀口尚次

 

 山口多聞(たもん)明治25年 - 昭和17年は、海軍軍人。海兵40期次席・海大24期次席。ミッドウェー海戦において空母飛龍沈没時に戦死。最終階級は海軍中将。位階は正五位

 ミッドウェー海戦に於いて 山口は「飛龍には他の空母の艦上戦闘機もあるので上空警戒機で阻止できる」という判断をした。水上偵察機〈戦艦榛名(はるな)所属機〉が敵機を発見し触接警戒しているので、飛龍は警戒を厳にし13機を上空に上げていた。だがSBDドーントレスの攻撃を受けて「飛龍」は飛行甲板を破壊され、発着艦不能となった。

 山口は総員を飛行甲板に集合をさせる。「皆が一生懸命努力したけれども、この通り本艦もやられてしまった。力尽きて陛下の艦をここに沈めなければならなくなったことはきわめて残念である。どうかみんなで仇を討ってくれ。ここでお別れする」と告げ、一同水盃をかわし皇居を遥拝し聖寿の万歳を唱え軍艦気と将旗を降納した。部下は退艦を懇請したが、山口は受け入れなかった。 また浅川正治〈飛龍主計長〉によれば、二航戦参謀、飛龍副長、飛龍各科長〈幹部〉は飛龍と共に沈むことを申し出たが、山口と飛龍艦長加来止男大佐は「二人だけでよい」として退去を命じた。各員と握手をかわした時の二人について、浅川は「まるで散歩の途中でさようならをいうように淡々としていた」と回想している。 この時、先任参謀伊藤清六中佐が「何かお別れに戴くものはありませんか」と頼むと、山口は黙って自分の被っていた戦闘帽を渡した。

 「飛龍」を雷撃処分した第10駆逐隊司令・阿部俊雄大佐が連合艦隊司令部で証言した事によれば、山口は訓示のあと退艦を願う部下達の制止をふりきり「マスクを被り艦橋に昇られたるが後、再び姿を見せられず」だったという。このあと「飛龍」は第10駆逐隊の駆逐艦巻雲」に雷撃処分されたがすぐには沈まなかった。翌朝、空母「鳳(ほう)翔(しょう)」偵察機が飛龍飛行甲板で帽子をふる生存者を発見、駆逐艦「谷風」が飛龍処分のために派遣されたが、既に「飛龍」は沈没していた。飛行甲板で手を振っていた人影は、「飛龍」の雷撃処分を知らなかった機関科部員で、のちに米軍によって救助された。