ホリショウのあれこれ文筆庫

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第547話 第五福竜丸

序文・死の灰

                               堀口尚次

 

 第五福竜丸は、米国・ソ連核兵器開発が急進展した冷戦時代に、アメリカ合衆国ビキニ環礁で行ったテラー・ウラム型水素爆弾実験により、多量の放射性降下物〈死の灰を浴びた、乗組員23名の遠洋マグロ漁船。無線長久古山愛吉が、被爆した1954年3月1日から約半年後の9月23日に死亡した。政府調査によれば同時に被爆した船が1422隻あった。

 第五福竜丸は、アメリカ国防総省アメリ原子力委員会が合同でビキニ環礁・エニウェトク環礁で行ったキャッスル作戦の6回の水爆実験のうち、1回目の「ブラボー実験」に巻き込まれて被爆した。第五福竜丸は3月14日に静岡県の焼津港に帰還し、同日に船主の妻から乗組員の火傷症状について東京大学医学部放射線科に電話が入り、翌日、乗組員は東大病院を受診したという。

 3月16日、事件はスクープとして新聞紙上に報じられ、静岡大学の塩川教授などによる調査が行われた。同日の検査では船体から30メートル離れた場所で放射線を検出したことから、塩川は人家から離れた場所へ係留するよう指示をし、鉄条網が張られた状態で係留された。なお、危険区域内では第五福竜丸以外の多くの漁船も操業しており、当時の調査では683隻、2万人以上が被爆したとされていたが、水産庁が2015年に開示した文書によれば被爆した船舶数は1423隻、漁獲物を廃棄した船は992隻であった。

 第五福竜丸は、マーシャル諸島近海にあったが、アメリカ合衆国が設定した危険水域の外で操業していた。乗組員らは目も口も開けられないほどの降灰に見舞われ、危険を察知して海域からの脱出を図ったが、延縄の収容に時間がかかり、約 5時間、放射性降下物の降灰を全身に被り続けながら作業を行うこととなり、23名の全員が被爆した。また船体・捕獲した魚類も同様に被爆した。

 その後の帰港までの2週間、乗組員は船体や人体も十分に洗浄しないまま強い放射能汚染のある状態の船上で生活をし、火傷、頭痛、嘔吐、眼の痛み、歯茎からの出血、脱毛など放射線による急性放射線症状を呈した。

 第五福竜丸は救難信号 (SOS) を発することなく、ほかの数百隻の漁船同様に自力で焼津漁港に帰港した。これは船員が、実験海域での被爆の事実を隠蔽しようとする米軍に撃沈されることを恐れていたためであるともいわれている。