ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第554話 戦車闘争

序文・在日米軍とのしこり

                               堀口尚次

 

 戦車闘争は、ベトナム戦争終盤の1972年、主に神奈川県相模原市にある在日知米軍相模総合補給廠(しょう)の西門前と、横浜市道の村雨橋付近の2拠点で起きた市民による政治闘争米軍がベトナム戦争で破損した戦車を相模総合補給廠で修理した後に再び戦地で使用すべく横浜ノース・ドックへと輸送していたため、当時、戦車積載のトレーラーが両拠点を往復していたが、日本国内の反戦運動の世論を受けて、この輸送を約100日の間、中止させるに至った。「戦車輸送阻止闘争」「戦車搬出阻止闘争」「村雨橋事件」「村雨橋闘争」「相模原闘争」などとも言われる。

 1972年8月5日に相模総合補給廠からM48戦車を積載して出発したトレーラー5台が横浜ノースドック手前の村雨橋にて、ベトナム戦争に反対する市民の座り込みによる「戦車阻止行動」に遭い、通行止めになったことに端を発する。8月7日夜にはトレーラーが補給廠に引き返した。補給廠正門前にはテントが立ち並び、監視活動、座り込み、泊まり込みなどの抗議行動が行われ、テレビ、新聞、雑誌などで大きく取り扱われ、また横浜線相模原駅から近い地の利も影響し、多い時では数千人に及ぶ活動家や一般市民が集まった。それに伴い、連日機動隊も配備され、デモ、投石などによる抗議行動が行われた。

 闘争は約100日続いたが、止められた戦車は、米軍および南ベトナム軍のM48、M113装甲兵員輸送車などであった。戦車が止まった背景には、飛鳥田横浜市長や河津相模原市長などの動きがあり、法的根拠としては、橋〈村雨橋〉において一定重量・幅以上の車両の通行を禁じる車両制限令があった。「村雨橋の場合は、20トン以上の車両が無許可で通行することが禁じられている。M113は9.75トン、トレーラーの自重は11.3トンであり、明らかに車両制限令に違反する」と、日本社会党の丹治相模原市議が機動隊に抗議したとされる〈重戦車であるM48の通行が不可であることはもちろん、軽戦車であるM113も、重量オーバーだけでなく、幅の制限も超えていたことが後に判明する〉。

 実際は、戦車輸送への抗議活動は8月以前から行われており、遡る5月25日にも、M48戦車5台が実力行使により一定時間止められていた。「ピケ隊は、トレーラーの前に立ちふさがり、運転席にかじりついて、運転手を説得し、荷台によじのぼって戦車に手をふれた」とあるように、この際は輸送阻止者の実力行使だった。

 テント村では、日本社会党日本共産党などの政党のほか、中核派革マル派などの過激派、地区労にべ平連〈反戦及び反米団体〉といった学生運動家や市民運動家がテントや横断幕を張り、そこを拠点に抗議活動を行った。輸送阻止のために集結した人々の心情・信条は、必ずしも一様ではなく、反戦意識によりベトナムに日本から戦車を送りたくないという者や、輸送騒音、戦車テスト走行による粉塵問題などの被害改善を望む地元住民、在日米軍基地がベトナム戦争に関与することは「極東における国際の平和及び安全の維持」を謳う日米安全保障条約の規定範囲を超えていることを問題視する者など、さまざまであった。

 また、6月には、修理・輸送された車両の中に米軍所属を示す星型のマークをペイントしていない南ベトナムの兵員輸送車が多く含まれていることが報道され、そのことも安保条約違反ではないかと議論された。

 闘争に参加した著名人は多い。例えば、ロックバンド・頭脳警察PANTA〈パンタ・中村治雄〉が関東学院大学時代に闘争に関わったことを表明している。

 在日米軍基地が利用された日本は土地を提供という意味でも、補給廠内では3500人の日本人従業員が戦車修理に携わっていたという意味でも、日本国は実質的にベトナム戦争を支援加担していたことになり、これを車両制限令という道路法で定めた政令の適用により阻止した闘争だったが、9月12日「ベトナム向けの搬出はしない。補給廠の戦車修理部門を縮小させる」との方針を日本政府が示したことで、相模原市横浜市も戦車トレーラーの通行を許可することとなった。伴い、18日夜から翌早朝にかけて数千人の抗議行動と、機動隊や放水車によるそれの排除、および、立ち並ぶテントの撤去を経てM113装甲兵員輸送車が搬出された。さらに10月17日「車両制限令は米軍と自衛隊の車両には不適用」という政令改定の閣議決定を受け、安保条約違反問題等々は議論を深めることのないまま、村雨橋の簡易的な補強工事を経て、11月8日夜よりM48戦車を含む戦闘車両の輸送が完全に再開されたことで、闘争は収束していった。本闘争は、今日でも日米地位協定日米安保条約普天間基地移設問題、対米従属論を解説した書籍・議論の中で度々話題にされる。日本国憲法第9条に絡めて触れられることも多い。