ホリショウのあれこれ文筆庫

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第568話 松平元信の正室・築山殿(瀬名姫)

序文・今川と松平のはざまで

                               堀口尚次

 

 1月8日に始まったばかりの、今年のNHK大河ドラマ「どうする家康」で登場した「瀬名姫」について調べました。

 徳川家康正室。築山殿の実名は不明である。テレビや小説などでは瀬名(せな)の名があてられるが、当時の史料はもちろん、江戸時代前期に成立した史料にも瀬名の名はみられない。江戸時代中期の元文5年成立の『武徳編年集成』巻三に、「関口或いは瀬名とも称す」と記載されている。一般的には築山殿築山(つきやま)御前、または駿河御前ともいわれる。「築山」の由来は岡崎市の地名である。具体的な場所は『岡崎東泉記』という史料に記載されており、岡崎城の北東約1キロほどに位置する、岡崎市久右衛門町であったとされる。このことから築山殿は同地に独立した屋敷を構え、居住したとみることができる。

 父は関口親永(ちかなが)。母は今川義元の伯母とも妹ともいわれ、もし妹ならば築山殿は義元の姪に当たる。夫の徳川家康よりも2歳くらい年上、低くみても同年齢くらいと推測されている。

 近年では、関口親永と今川氏との婚姻関係そのものの存在を否定する説〈親永の実兄である瀬名氏俊(うじとし)が義元の姉を妻にしたのを誤認したとする〉もあるが、そもそも関口氏自体が御一家衆(ごいっけしゅう)と呼ばれる今川氏一門と位置づけられる家柄であった。家康〈当時は松平元信・その後松平元康に改名〉が今川氏一門である関口氏の娘婿になるということは、今川氏一門に准じる地位が与えられたことを意味していた。

 築山殿は、天文8年から天文9年にかけて出生した可能性が高いとされる。弘治3年正月15日、今川家の人質として駿府にいた松平元信〈後の徳川家康〉と結婚する。永禄2年に松平信康を、同3年に亀姫を産む。

 築山殿の最期は謎が多く、諸説が流布されている。家康が暗殺したのではないかという穏やかでない説まであり、真相は闇の中のようだ。さて、今回の大河ドラマでは、この築山殿の最期をどのように描くのだろうか見ものである。