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第587話 三十六計逃げるに如かず

序文・逃げるが勝ち

                               堀口尚次

 

 『兵法三十六計』は、中国の魏晋南北朝時代兵法書兵法における戦術を六系統・三十六種類に分類した内容である。著者は南北朝時代南朝宋の将軍檀道済(たんどうせい)。「三十六計逃げるに如(し)かず」の語源である。

 1941年、邠県(ひんけん)〈現在の陝西省(さんせいしょう)咸陽市(かんようし)彬州市(ひんしゅうし)〉において再発見され、時流に乗って大量に出版された。様々な時代の故事・教訓がちりばめられているため、中国では兵法書として世界的に有名な『孫子』よりも民間において広まり、学校での教育も相まって現代人の思想や行動原理にも影響を与えている。

 戦術とは関連が薄い内容も含まれ、権威付けのために『易経(えききょう)』からの引用を使って解説しているなど、純粋な兵法書としては荒削りな部分が見られるためか、『孫子』などの武経七書と比較し軍事面では評価が低い。

 この本は『南斉書(なんせいしょ)』の王敬則(おうけいそく)伝「敬則曰、『檀公三十六策、走是上計』」の語源である。

 多くのはかりごとのうち、迷ったときには機をみてを引き、後日再挙を期すのが最上の策であるとする教え。転じて、困ったときには逃げるのが得策の意。単に「逃げるが勝ち」ともいう

 中国、南北朝時代に、南朝の王敬則が反乱軍を率いて斉(せい)王の蕭道成(しょうどうせい)父子を建康(けんこう)〈現在の南京〉に攻めたとき、斉王父子が遁走(とんそう)したといううわさを聞き、南朝宋の名将檀道済が「三十六策走(にぐ)るがこれ上計なり」と魏(ぎ)の軍を避けた故実を引いて、斉王父子をあざけったことに由来する。もと、敵前逃亡する者を卑怯者とののしることの意であったが、わが国では、転じて、逃げるを上策とする意にとられるようになった。

 たくさんあるはかりごとのうち、困ったときは、あれこれ考え迷うよりは、機を見て逃げ出し、身を安全に保つことが最上の方法である。臆病やひきょうなために逃げるのではなく、身の安全をはかって、後日の再挙をはかれ、ということを教えたもの。転じて、めんどうなことがおこったときは、逃げるのが得策であるの意。