ホリショウのあれこれ文筆庫

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第594話 オフレコ発言について

序文・口は禍の元

                               堀口尚次

 

 岸田文雄首相の秘書官の荒井勝喜氏が、オフレコを前提にした記者団の非公式取材に官邸で応じた際、LGBTなど性的少数者同性婚に対する差別発言をし、更迭された。

 オフレコとは、談話などを公表しないこと、または非公式なものとすることを指す報道用語である。談話の内容を非公開とすることを発言者と取材者全員が事前に約した上で、本音を話してもらうことである。したがって、双方が事前に約束することなく発言者が発言し、発言後に「オフレコ」とマスコミ側へ依頼又は脅迫しても、オフレコの条件を満たさない。オフレコを対価に話してもらった内容を非公開にすることは情報提供側と取材記者との間の約束事項であり、それを守るのは記者としての基本的なモラルとされる。

 これに対して日本維新の会鈴木宗男参院議員は、自身のブログで「何故オフレコが表に出るのか。人権とかプライバシーがかかっている話が外の出るのは、信義違反、約束違反と思わないだろうか」とした。

 よく「居酒屋談義」という言葉を耳にする、これは居酒屋という気の抜ける場所で、お酒も入り本音で話せる会話のことだろうか。政治家だって人の子だ。愚痴もあろうし「本音と建前」を持ち合わせていることぐらいは想像に難くない。但し問題になるのは、この「本音と建前」の使い分けだろう。

 「言論の自由」は民主主義の旗印の一つであるから、人は何を言ってもかまわないのである。しかし公人、特に政治家の場合は、その言動に細心の注意が必要となることは自明の理である。

 今回の更迭劇では「オフレコだから何を言っても構わない」のではなく「政治家として言ってはいけないことがある」が優先した模様だ。

 心に思っていることをすぐ口にする人は、ある意味裏表のいない正直な人間であり、その言動に悪意はなく、率直な考えを嘘偽りなく述べていることが多い。ただ社会生活の中では、他人・相手を気遣うことは肝心であり、自分の言動により、影響を与えるであろう事象を鑑みる想像力も教養の一つだ。

 足を踏まれた人の痛みは、踏んでいる人にはわからないのである。私は今回の件を反面教師とし、今一度謙虚になり普段の言動に注意を図りたいと思った。