ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第596話 マッカーサー参謀・堀栄三

序文・戦略の重要性

                               堀口尚次

 

 堀栄大正2年 - 平成7年は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。階級は陸軍中佐、陸将補。正確な情報の収集とその分析という過程を軽視する大本営にあって、情報分析によって米軍の侵攻パターンを的確に予測したため、「マッカーサー参謀」とあだ名された。戦中の山下奉文陸軍大将、そして戦後海外の戦史研究家にもその能力を高く評価されている。

 昭和18年4月から陸軍士官学校戦術教官。10月1日から大本営陸軍部第2部参謀として勤務。ドイツ課とソ連課を経て、欧米課に勤務。そこで、米軍戦法の研究に取り組み、その上陸作戦行動を科学的に分析して昭和19年6月に『敵軍戦法早わかり』を完成させ、米軍への水際での突撃や夜間の銃剣突撃は自滅するので行わないようにという内容を伝達した。

 『敵軍早わかり』を最初に伝達し、ペリリュー島の戦いにおいて、米軍2個師団を相手に1個連隊を基幹とする約5千名で、2ヶ月以上奮戦した中川州男大佐がいた。堀は、中川連隊やその他の諸処の戦場での勇戦奮闘と殉国の精神を讃える一方、戦略の失敗を戦術や戦闘でひっくり返すことは出来なかったと述べている。太平洋という戦場の特性を情報の視点から究明し、戦争の10年以上も前に「軍の主兵は航空なり」「鉄量にもって鉄量をもってする」という戦略を提唱していた

 堀は、著書で『国破れ企業破れて反省しても遅い、敗れ去る前に自ら襟を正すべきであるが、その中でも情報を重視し、正確な情報的視点から物事の深層を見つめて、施策を立てることが緊要となってくる。』と述べている。この『敵軍戦法早わかり』が伝達されるまでは、中国戦線での戦訓に基づいて米軍との戦いを行っており、士気が非常に低く突撃によって逃げ出す相手に対する戦い方をとる事で日本軍の損害が非常に増えていた側面もある。この資料の完成後は、硫黄島の戦い及び沖縄戦に代表されるように米軍の被害は増加することになる。サイパンの戦いには内容の教授が間に合わなかったと記録に残している。『敵軍戦法早わかり』以降、大本営内部で意見の調整が行われ、各師団に軍事戦〈戦略〉を説明するときに、同時に現地情勢及び相手の戦闘方法の情報についても伝達するように切り替わった。