ホリショウのあれこれ文筆庫

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第615話 元総理・野田佳彦の信念

序文・愚直な姿勢

                               堀口尚次

 

 野田佳彦昭和32年生まれは、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員〈9期〉、立憲民主党最高顧問。千葉県議会議員〈2期〉、財務副大臣鳩山由紀夫内閣〉、財務大臣〈第14代〉、内閣総理大臣〈第95代〉、民主党国対委員長〈第7代・第10代〉、民主党幹事長代理、民主党代表〈第9代〉、民主党最高顧問、民進党幹事長〈第2代〉などを歴任。 

 NHKと読売新聞の内定を得ていたが、松下幸之助が設立したばかりの松下政経塾に第1期生として入塾した。野田は「今でも、松下幸之助塾長との最終面接を鮮烈に覚えています。笑顔で迎えてもらったが、目は笑っていませんでした。むしろ、射抜くような怖い目つきでした。耳はとても大きくて、ピンと立っていました。」「『キミの身内に政治家はおるか?』『まったくいません』『そりゃ、エエな。ところでキミの家は金持ちか?』『どちらかというと貧乏です』『なお、エエな』何が良かったのか、いまだにさっぱり分かりません。が、こうして、政経塾で5年間、あるべき政治の姿を学ぶことになりました。」と当時について回想している。

 家庭教師や都市ガスの点検員等、様々な仕事の経験を経て、1987年に千葉県議会議員選挙に千葉県内一の激戦区である船橋市から立候補した。選挙資金はカンパによる500万円、運動員は20代のボランティア約50人だったが、「金権千葉の政治風土を変えよう」「路地裏の政治」と毎日朝夕、駅前で訴え、下馬評を覆し当選した。千葉県議は2期務めた。

 松下政経塾の塾長であった松下幸之助からの助言に従い、駅前で通勤する人々に政策を訴える「朝立ち」を1986年10月から2010年に財務相に就任する前日まで24年間続け、「駅前留学NOVA、駅前演説はNODA」と自ら称した。首相退任後の2012年12月から朝立ちを再開している

 2022年10月7日、銃撃事件により死去した自民党安倍晋三に対する国会での追悼演説について、自民党側が「安倍氏は長く総理大臣を経験し、その重圧と孤独を最も知っているのが野田氏だ」として演説を申し入れ、野田は党内で協議後、要請を受諾、同月25日に行われた。野田の追悼演説は、かつての「仇敵」に対する惜しみない敬意や情感のこもった内容で「心を打つ」と話題を呼び、高く評価され、「憲政史に残る名演説」と賞賛する声もあがった。