ホリショウのあれこれ文筆庫

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第626話 浅野内匠頭と吉良上野介の因縁

序文・外様大名vs高家旗本

                               堀口尚次

 

 浅野長矩(ながのり)は、江戸城本丸大廊下〈通称松の廊下〉における吉良義央に対する刃傷とそれに続く赤穂事件で広く知られる。浅野長矩は、播磨赤穂藩の第3代藩主。官位は従五位下・内匠頭。官名から浅野内匠頭(たくみのかみ)と称されることが多い。5万石の外様大名。内匠頭とは、朝廷の役職・内匠寮の長官のことで、当然ながら実務を伴わない名誉職である。現代でいうと中央官庁〈省〉の事務次官といったところだろうか。

 吉良義央(よしなか)は、江戸時代前期の高家旗本〈高家肝煎〉。従四位上・左近衛権少将、上野介(こうずけのすけ)。一般的には吉良上野介と称される。足利将軍家の御一門。徳川将軍家の御連枝。本姓は源吉央となる。ちなみに、左近衛権少将は高家の極官であり、天皇への謁見も可能な身分。

 忠臣蔵では、「浅野内匠頭『大名』」対「吉良上野介『旗本』」の構図だが、浅野は5万石の外様大名であるが、吉良は左近衛権少将という権威ある旗本。赤穂藩には、代々徳川に仕えた武門の誉(ほまれ)がある。方や吉良は代々高家肝煎という朝廷の接待役の指南役という格式高い家柄だ。上野介という官名は、本来国の長官は上野(こうずけの)守(かみ)なのだが、上野国天皇の子〈親王〉が名乗る決まりになっているため守(かみ)の次官である介(すけ)となっているように、名誉ある官位なのだ。しかし浅野からみれば吉良は、たかだか4200石〈浅野の10分の1以下の石高〉の旗本。この二人の関係は、さしずめ現代風に見て取れば、「地方の県知事」と「中央官庁・宮内庁の長官」との喧嘩・意地の張り合いみたいなものだろうか。

 江戸で火事があった時に、浅野内匠頭は「火消し大名」として活躍した。しかし大火の際に指揮をとっていた浅野だが、吉良邸を焼失させていることが、後の吉良の浅野への遺恨ではないかという説もある。因みに、赤穂事件の吉良邸討ち入りの際に、四十七士が身に着けていた装束は、火消し装束という説もある。

 かたや吉良上野介は、三河国吉良庄〈愛知県西尾市〉に知行地があり、地元では名君と称えられている。黄金堤と呼ばれる堤防を築き、領民を洪水から救った名君なれど、史実は定かではない。また、塩田開発などで治績の伝承もある。この塩田開発に関しても赤穂藩との確執の火種の一つとも言われている。

 なんにしろ、浅野内匠頭吉良上野介は、曰く因縁付きの間柄なのだ。