ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第631話 即身仏

序文・生きながらミイラとなる

                               堀口尚次

 

 即身仏は、主に日本の仏教〈密教〉に見られる僧侶ミイラのこと。日本の一部地方に見られる民間信仰において、僧は死なず、生死の境を超え弥勒菩薩出世の時まで、衆生救済を目的として永遠の瞑想に入る〈入定〉と考えられている。僧が入定した後、その肉体は現身のまま即ちになるため、即身仏と呼ばれる。原義としての「入定〈単に瞑想に入ること〉」と区別するため、生入定(いきにゅうじょう)という俗称もある。日本においては山形県庄内地方などに分布し、現在も寺で公開されているところもある。

 江戸時代には、疫病や飢饉に苦しむ衆生を救うべく、多くの高僧が土中に埋められて入定したが、明治期には法律で禁止された。また入定後に肉体が完全に即身仏としてミイラ化するには長い年月を要したため、掘り出されずに埋まったままの即身仏も多数存在するとされる。

 即身仏になろうとする者は、死後に肉体が腐敗しないよう整え、ミイラの状態に体を近づけるために、まず木食修行を行う。米や麦などの穀類の食を断ち、木の皮や木の実を食べることによって命をつなぎ、経典を読んだり瞑想をする。まず最も腐敗の原因となる脂肪が燃焼され、皮下脂肪が落ちていき水分も少なくなる。次に筋肉が糖として消費される。漆(うるし)の防腐作用に期待し、または嘔吐することによって体の水分を少なくする目的で、漆の茶を飲むこともあった。

 生きたまま箱に入る場合、節をぬいた竹で箱と地上を繋ぎ、空気の確保と最低限の通信〈行者は読経をしながら鈴を鳴らす。鈴が鳴らなくなった時が入定のときである〉を行えるようにした。これらは死を前提にするため、当然ながら大変な苦行であり、途中で断念した者も存在する。断念した者の中には脱落者に対する慣習により僧侶仲間に殺害される者もいた。湿潤で温暖な気候の日本では有機体組織の腐敗を防ぐのは非常に困難を伴い、死後腐敗してミイラになれなかったものも多い。ミイラになれるかなれないかは、上記の主体的な努力や、遺体の置かれた環境に大きく影響されるだけでなく、関係者により適切な時期に掘り出され、保存の努力が成されるか否かにも左右される。

 私は、岐阜県横蔵寺の妙心法師と山形県注蓮寺の鉄門海上人の即身仏を確認している。