ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第638話 知多半島に残る日本武尊の伝説

序文・ヤマトタケル伝説

                               堀口尚次

 

【寝覚の里】

名古屋市緑区大高に「寝覚の里」という史跡があり、立札には以下の様にある。『ここは、日本武尊(やまとたけるのみこと)と宮簀媛命(みやずひめのみこと)が、新婚のひと時を過ごした館があったと伝えられる所です。当時海辺であったこの地は、毎朝寄せくる潮騒に寝覚めを得ていました。そのことから里人はここを「寝覚の里」と呼んでいました。初めはここよりやや東の田の中に塚が設けられていましたが伊勢湾台風で散逸してしまいました。今の碑は昭和五十五年この場所に再建されたものです。碑文は次の通りです。大高里なるこの寝覚の地名はしも千八百年の昔倭武天皇の火上の行在所に坐し時期な~~に海潮の波音に寝覚し給ひし方なる故にかくは伝い効ハセるものならは故この地名を万代に傳へまくを予に其事この石面に書付てよと里人の請はるゝまゝにかくなむ 明治四十三年十月 熱田神宮宮司 正五位勲六等 角田忠行 大高学区 大高歴史の会』

尚、隣接する東海市名和町の住所は「寝覚」であり、「寝覚公園」もある。

【船津神社】

 愛知県東海市名和町船津にある神社。主祭神日本武尊

この地は、第12代景行天皇の御子日本武尊ご東征の時、伊勢より海を渡られて、ここに御船をおつけになり、なわで船を松の木につながれたことによって、名和船津の地名が出来たとされる

 伝説として、当社の御前を航海する船はご神威を恐れて常に敬意を表し、白帆を下げて過ぎ、陸では必ず馬を下りて一拝しない者はなし。又甕の宝物があって、氏子一同かめを不浄物に用いない風習がある。これを犯す時は、その家必ず栄えないという言い伝えが今なお残るという。

【生路井(いくじい)】

知多郡東浦町生路の史跡。日本武尊尾張氏の兵と共に東征軍の兵力を整えていた時、この地で兵を引き連れて狩りに出掛け、生路(いくじ)の里を通りかかった。熱い夏だったため、喉が渇き、水飲み場を探すが無く、山にある崖の下の大きな岩が湿っていたので、日本武尊が弓のはずで突き立てると清水が湧き出し泉となり、それが村人から生路井と呼ばれる水飲みや、酒造りの水となったと伝わる。