ホリショウのあれこれ文筆庫

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第642話 億兆安撫国威宣揚の御宸翰

序文・国民に対する天皇の言葉

                                   堀口尚次

 

 億兆安撫(おくちょうあんぶ)国威宣揚(こくいせんよう)の御宸翰(ごしんかん)とは、明治元年3月14日、五箇条の御誓文の皇誓(こうせい)に際し、これに附して明治天皇が全国民に対して下した言葉

 五箇条の御誓文が「戊辰の皇誓」と呼ばれ、皇祖神に対して誓ったものであるのに対して、これはその時、臣下である全国民に向けて下した言葉である。

文言の「億兆」とは国民全体のことであり、天皇は「天下億兆、一人も其処を得ざる時は、皆朕が罪なれば」と述べて、過去に摂関政治武家政権へ政治を任せてきた事への反省の弁と、神州〈日本〉の将来の為に一大改革を成し遂げるとの決意と責任感を示した。

 五箇条の御誓文由利公正らの草稿によって用意されたものであるのに対して、この御宸翰は「幼弱」で実績のないまま皇位を践(ふ)み、日々の生活の中で苦悩していた事などを吐露(とろ)し、また、永く天皇親政でなかった一因も天皇側にあると反省の弁が語られているなど、終始、謙(へりくだ)った文言で国民へ語りかけるもので、異色の特徴を有する。

 この「御宸翰」は「戊辰の皇誓〈五箇条の御誓文〉」と共に、当時の人々の心に計り知れない影響を与えた。維新の元勲であった板垣退助は特に顕著で御宸襟を拝し感涙。明治6年征韓論争に敗れてからは、天皇は「君主と臣下の意識間隔を矯正しようとされておられ」さらに「広く会議を興し万機公論に決すべし」と皇祖皇宗の神霊に誓ったのであるから、有司専制を除去し「皆で相談して私的解釈を捨て、公義を取り、天皇を扶翼して国家を経綸」する為の国会を開設するに如(し)かずと述べ、有志と謀(はか)って民撰議院設立建白書を左院へ提出した。

 私は過日、愛知県知多郡東浦町の伊久智(いくじ)神社の境内にある「国威宣揚塔」を確認した。ここは日本唯一の「潮魂」を祀る神社として有名。祭神の塩土老翁(しおつちのおじ)が製塩の神様とされることから。

 尚、「国威宣揚塔」の側面には「宮城遥拝所」と「神宮遥拝所」の文言もある。