ホリショウのあれこれ文筆庫

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第643話 身代わりになった長益上人

序文・願い事を叶えてくれる靈跡

                               堀口尚次

 

 愛知県東海市荒尾町にある長益塚とは、長益(ちょうえき)上人を供養する塚のことです。筆者の実家や自宅からも近く、小学生の時の通学路の脇にあったことから、親近感を感じますが、どういう経緯のものなのか分からずじまいで大人になってしまいました。どうみても、お寺ではないので昔から不思議な感覚を抱いていました。今回は、長益塚にある市教育委員会設置の看板や「東海市の民話」からその経緯を知ることができましたので紹介します。
 長益上人は戦国時代の人で、荒尾町の宝国寺の和尚様でした。その頃は戦乱に明け暮れる時代で、農民たちは大変苦しい生活をしていました。そこで、近郷の農民たちが集まって訴え出ることにしました。そして、訴状を長益上人に頼んで書いてもらいました。ところが、そのことが時の支配者に知られ、農民たちは処罰を受けることになりましたが、長益上人はそのとがめを一身に背負って処刑されました。そのとき長益上人は「私は今こうして無実の罪によって処刑されるが、それゆえ、死んでも人々の願いを聞き届け出るぞ」と言われました。その後、慶安2年に荒尾七ヶ村の人々によって長益上人の供養のために建てられたのが長益塚です。以来、現代に至るまで、お願いごとで訪れる人が絶えません。かつては遠く岐阜県辺りからも願い事のために訪れる人があったと言います。

※尚内容は、東海市教育委員会出版の「東海市の民話」から一部抜粋させて頂きました。

 宝国寺は長益塚の近くにあり、塚が宝国寺の境内にないことに素朴な疑問は湧きましたが、理由はわかりませんでした。長益上人の像が本堂に祀ってあるそうです。

 長益塚「長益上人靈跡(れいせき)」のお堂の中には、「何事でも願いを叶えてくれる」という信仰からか、壁に人々の願いの紙が沢山貼り付けてあります。

 町内には「長益上人安置」「長益大和尚」などの石碑が四か所にあり、昔から丁重に供養されていた歴史が感じられます。