ホリショウのあれこれ文筆庫

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第662話 日本のウヰスキーの歴史

序文・鳥井さんありがとう

                               堀口尚次

 

 ウイスキー〈英: whisky、愛/米: whiskey〉は、世界の酒の一つ。大麦ライ麦トウモロコシなどの穀物麦芽酵素糖化し、これをアルコール発酵させ蒸溜したものである。日本語ではウィスキーとも表記される〈ウヰスキーとも〉。日本の酒税法上の表記は「ウイスキー」であり、国税庁も「ウイスキー」の表記を用いている。漢字を当てて火酒烏伊思幾とも書かれた。

 ウイスキーについて、世界共通の明確な定義があるわけではないが、各国の法制度上、種々の目的から定義されていることがある。日本においては、酒税法3条15号において、次のように定義されている『発芽させた穀類及び水を原料として糖化させて、出芽酵母により発酵させたアルコール含有物を蒸留したもの〈当該アルコール含有物の蒸留の際の留出時のアルコール分が九十五度未満のものに限る。〉』

 日本における最初の受容は、1853年の黒船来航の際、江戸幕府側の役人や通訳がサスケハナ号に乗船した時にウイスキーが振る舞われたものとされている。その後、在日外国人向けの輸入ウイスキーの英字広告が1861年のジャパンヘラルド紙にあり、1871年には日本人向けに「猫印ウヰスキー肩張丸形壜」がカルノー商会によって輸入されていた記述が1915年出版の日本和洋酒罐詰新聞社『大日本洋酒罐詰沿革史』にある。当時、日本産のウィスキーと言えば、安価な輸入アルコールに砂糖や香料を加えた「模造ウィスキー」と呼ばれる粗悪品しかなかった。

 本格的な国産ウィスキーを目指したのが鳥井信二郎竹鶴政孝であり、1918年にスコットランドへ留学してウィスキー製造を学んだ竹鶴の下で、1923年に日本初のモルト・ウィスキー蒸留所〈山崎蒸溜所〉の建設が始まり、1929年に国産第一号となる「サントリーウヰスキー白札」〈現在のサントリーホワイト〉が販売された。また、その後、竹鶴は更に本格的なスコッチ・ウィスキーの生産を目指し、1934年に余市蒸溜所を設立する。これらがジャパニーズ・ウイスキーの始まりとされる。

 私は過日、地元愛知県知多市にある「サントリー知多蒸溜所」を訪ねた。ここでつくられるウイスキー「知多」は格別の味がする。