ホリショウのあれこれ文筆庫

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第665話 「ダルマさん」こと高橋是清

序文・モラトリアムの実施

                               堀口尚次

 

 高橋是清嘉永7/安政元年 - 昭和11年〉は、日本の政治家。日本銀行総裁

立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣〈在任:大正10年 - 大正11年〉。栄典は正二位大勲位子爵。幼名は和喜次。近代日本を代表する財政家として知られ、総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い。愛称は『ダルマさん』。二・二六事件で暗殺される。

 昭和2年昭和金融恐慌が発生し、瓦解した第一次若槻内閣に代わって組閣した田中に請われ自身3度目の蔵相に就任した。高橋は日銀総裁となった井上準之助と協力し、支払猶予措置〈モラトリアム〉を行うと共に、片面だけ印刷した急造の200円札を大量に発行して銀行の店頭に積み上げて見せて、預金者を安心させて金融恐慌を沈静化させた

 日本経済は第一次世界大戦時の好況〈大戦景気〉から一転して1920年に戦後不況に陥って企業や銀行は不良債権を抱えた。また、1923年に発生した関東大震災による経済混乱に対応するための震災手形が膨大な不良債権と化していた。

 一方で、中小の銀行は折からの不況を受けて経営状態が悪化し、社会全般に金融不安が生じていた。1927年3月14日の衆議院予算委員会の中での片岡直(なお)温(はる)蔵相が「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」と失言したことをきっかけとして金融不安が表面化し、中小銀行を中心として取り付け騒ぎが発生した。 

 一旦は収束するものの4月に鈴木商店が倒産し、その煽りを受けた台湾銀行が休業に追い込まれたことから金融不安が再燃した。これに対して高橋是清蔵相は片面印刷の200円券を臨時に増刷して現金の供給に手を尽くし、銀行もこれを店頭に積み上げるなどして不安の解消に努め、金融不安は収まった。

 かつて発行された日本の紙幣〈日本銀行券〉では、戦後の昭和26年に発行が開始されたB五拾円券〈五十円紙幣〉に肖像として採用されている。肖像画は是清の孫が所有していた写真を元にしており、服装を燕尾服から一般的な背広に差し替えたものとされている。余談であるが、勿論この紙幣は両面印刷である。