ホリショウのあれこれ文筆庫

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第677話 僧兵祭りと三嶽寺

序文・弁慶も僧兵

                               堀口尚次

 

 三嶽(さんがく)寺は、三重県三重郡菰野町菰野湯の山温泉に存在する天台宗山門派の寺院。かつては数百名の僧兵を抱える大寺院であった。平安時代初期の大同2年に最澄伝教大師〉によって開かれたと伝わる。

 三嶽寺は、元々鈴鹿山脈の国見峠にあったが、織田信長比叡山焼き討ちを行う3年前の永禄11年に織田信長の命により、滝川一益(がずます)の軍勢が押し寄せ、当時三嶽寺には数百人もの僧兵が居て勇敢に戦ったものの多くの堂宇(どうう)が悉(ことごと)く兵火により灰燼(かいじん)に帰した。

同時期に滝川一益の軍勢により伊勢国の数多くの寺院が焼き討ちされ多くの貴重な文化財が失われたが、菰野町内では、引接寺〈天台宗〉、慈眼寺〈天台宗〉、正眼寺天台宗〉、清安寺などが同時に焼き討ちされて消滅し、禅林寺臨済宗妙心寺派〉は焼き討ちされたものの復興し現在に至っている。

江戸時代よりの伝承で、仏の化身(けしん)として現れた僧兵の言葉に心中を思い止め、礼に折鶴を奉納し願掛けを行ったところ恋愛が成就したと云う“折鶴伝説”にちなみ、今日では恋愛成就の祈願寺として有名である。

三嶽寺の近くの湯の山温泉では、毎年10月初旬には織田信長の軍勢に立ち向かい勇敢に戦った僧兵偲んで僧兵祭りが行われており、僧兵装束に身を包んだ男たちが担ぐ大小の樽〈5個〉に松明(たいまつ)を約50本付けた『火炎みこし』は、重さ約600kg。三嶽寺で祈願を受けたあとロープウェイ前の広場まで約2㎞の道のりを練り歩く。炎が凄まじく燃え盛り、漆黒の夜空に火の粉が飛び散るさまは圧巻である。 また、『火炎みこし』に先立って、綺麗に飾られた女性だけの『かえでみこし』も練り歩く。

 僧兵とは、日本の古代後期から中世、近世初頭にかけて存在した僧形の武者である。京都・奈良の大寺院の雑役に服する大衆〈堂衆〉が自衛武装したもの。法師武者あるいは武装した僧侶を僧衆、悪僧と同時代でいうが、それを江戸時代以降「僧兵」と呼称した言葉である。ちなみに悪僧の「悪」は悪党の悪と同じで「強い」という意味合いである。主に寺社勢力に所属する武装集団である。その風貌は絵巻物などに描かれ、裹頭(かとう)頭を包む布や、高下駄薙刀(なぎなた)などが特徴とされる。髪は剃っていなかった可能性が高い。なお、これに対し、神社に所属する武装集団を神人(じにん)という。