序文・生きかえった遺品
堀口尚次
インターネットで『九五式軽戦車は日本陸軍が1935年に採用した小型の戦車で、日本の戦車としては最も多い2300台以上が生産された。しかし、これまで日本には1台も残されていなかった“幻の戦車”だ。』という記事を見たので調べてみた。
九五式軽戦車は、1930年代中期に大日本帝国で開発・採用された戦車〈軽戦車〉。秘匿名称「ハ号」※「九十五式軽戦車」、「ハゴ」、「ハゴ車」は誤り。正しくは「はごう」。〈「イ号」は八九式中戦車、「ロ号」は九五式重戦車〉。
日本戦車としては最多の2,378輛が生産され、九七式中戦車 チナ〈チハ車〉とともに第二次世界大戦で活躍し、日本軍の代表的な軽戦車として知られている。
本車は日本において初めて、設計および試作段階から、民間企業三菱重工業〈昭和9年から。開発開始時は三菱航空機〉によって開発された戦車である。
終戦時の時点で九五式軽戦車は、日本本土の各部隊に446輌前後、南方軍には132輌前後が残存していたと思われる。その他、支那派遣軍・関東軍における残存数は不明である。
生き残った車両は大部分が解体されたが、一部は八幡製鐵所など壊滅を免れた工場へ送られ、砲塔や武装を撤去した上で、ブルドーザーや牽引車として戦後復興に活躍し、警視庁ではキャビンを拡大した改造型〈名称は「工作車」〉が警備用装輪装甲車両が充実する昭和40年代まで配備されていた。また北海道中央バス石狩線で積雪対策として馬そりを車輪代わりに使う雪上バス「バチバス」の牽引車として用いられていた。
日本にある現存車両は、かつてポナペ島に2両あったものが日本に送られ、うち1両を取得したもの。京都嵐山美術館の閉鎖に伴い、車輌は英国の個人に売却され、ダックスフォード帝国戦争博物館での展示に向けてポーランドでレストアを行ってたが、激しい腐食のため断念するに至った。その後、日本の「防衛技術博物館を創る会」がクラウドファンティングでの支援を通じてレストアを実施・完了させ、2019年6月に上述の「ボービントン戦車博物館」にて走行する姿がお披露目された。2022年12月に日本に里帰りした。