ホリショウのあれこれ文筆庫

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第708話 日米対抗ローラーゲーム

序文・ローラースケート靴が大流行

                               堀口尚次

 

 日米対抗ローラーゲームは1972年から1975年9月にかけて、東京12チャンネルが制作・放送したスポーツ中継の番組である。

 「殴る!!蹴る!!つぶす!! 話題のスポーツローラーゲーム」といううたい文句で知られるローラーゲームは、全米では「ローラーダービー」ともいわれ人気が高いスポーツとして知られていた。これはアリーナに傾斜の付いたスケートリンクを組立てて、1チーム男性5人女性5人で混成された2チームが男女別に得点を競い合うスポーツ。相手チームの選手を何人追い越すかによって点数が決まる。攻守はどちらかのチームに得点役が残った時に攻撃側と守備側に分かれる形になるが両チームに得点役が残った時には両チームが防御しながら攻撃する入り乱れた展開となる。攻防は殴る・蹴るなどの反則妨害を加えるというアクションゲームの要素が詰まったスポーツとされている。

 東京12チャンネルでは「日米対抗ローラーゲーム」以前にも、1968年4月から1970年9月にかけて、ロスアンゼルスを拠点としていたチーム、サンダーバードローラーゲーム番組のVTRをキョードー東京を通じて購入し放送していたことがある。

 1968年アメリカ人チームによるローラーゲーム番組の絶頂期に日本人チーム結成を計画して選手募集を東京12チャンネルとローラゲームチームを管理しているナショナルスケーティングダービー社が共催で行った。選考試験は後楽園ローラースケートリンクで実施され全国から230名が応募した。

 日本での当時のローラースケートは子供の遊び程度に受け止められていて若者や大人で滑れる人はローラーのホッケーやスピード、フィギィアのクラブに所属している一部の人たちに限られていた。試験の応募者は前記クラブを引退してフリーとなっている人の他はほとんどがやっと滑れる程度の人たちだった。試験はスケーティングの他、身長、体重、身体機能や健康状態のチェック等が行われ13名が合格した。合格メンバーの中に角田誠、河野一男、森文雄、佐々木陽子他がいた。

 訓練して直ぐにでも日本人チームが結成される計画だったがローラーゲーム番組の視聴率が低下して計画の実施は困難となった。