ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1078話 自動車販売の「形式指定」認証不正に想う

序文・官僚の無謬性

                               堀口尚次

 

 そもそも自動車を生産して販売する場合、国の基準を満たしているかを、国の検査を得て、合格してからしか販売してはいけない仕組みになっている。自動車には車検制度があり、これを満たしていない場合は法令違反となる。「形式指定」認証は、ある意味で新車販売前の第一回目の車検みたいなものだ。ところが自動車が大量生産・大量販売されるようになって、いちいち一台ずつ検査していたら販売が追い付かない事態になった。そこで、合格基準を満たした自動車には「形式指定」をし、その車種の検査を免除するという、メーカー側のある意味「性善説」にもとずくものだ。だからこの不正がまかり通れば、販売された新車は『国の基準をみたしたかどうかの検査を合格していない自動車』という理屈になる。

 しかし我々一般消費者が自動車を購入する際に、「この車は国の基準に合格しているだろうか?」などと考えたことはない。これは当然「国の基準にあった車しか販売していない」という暗黙の了解というか大前提が、常識的な認識となっているからだ。

 しかし調べてみるとこの問題は根が深い。新聞によるとメーカー側は「不正だが安全」と主張しており、この矛盾にも思える背景には車造りの歴史の中で手続きが長期化し、複雑化してきた認証制度の課題が顕在化してきたようだ。トヨタ豊田章男会長は「法規に定められた基準はクリアしているので、お客さまには安全にお使いいただける」と繰り返している。要するに国の基準より厳しいとされる条件で行われた試験をクリアしているという。しかし国側・国土交通省は、事前に条件変更の申し出がなかったことなどから不正と認定した。

 ということは、「その車が国が定めた条件を満たしていないから危険」なので承認しないということではなく、「国が定めた条件通り試験をしていない」から承認しないだけということか。

 官僚には、無謬性(むびゅうせい)「思考や判断に誤りがない」があるとされる。勿論プライドもあろう。自分たちが築いてきた「形式指定の認証制度」のおかげで、メーカーは自動車の大量生産・大量販売が出来たのではないかという思いもあるのかもしれない。「お役所仕事」と揶揄される側面も垣間見える。しかし本来は消費者の危険回避の制度が、形式的な書面主義に陥ってしまっては本末転倒だ。