序文・織田信長の叔母
堀口尚次
おつやの方 は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。織田信定〈信長の祖父〉の娘で、織田信長の年齢の近い叔母にあたる。修理夫人、艶、岩村殿、岩村御前ともいわれる。
美濃国の斉藤氏の家臣・日比野清実(きよざね)に嫁ぐも、甥の織田信長に攻められて、居城は落城して清実も討死。後に実名不詳の織田家臣に嫁いだ後に、東美濃の遠山氏の宗家の当主である岩村城主・遠山景任(かげとう)に嫁いだ。元亀3年景任は子供が無いまま病死したため、信長は息子の御坊丸〈6歳・後の織田勝長〉を岩村遠山氏の後継として送り込んで、おつやの方を事実上の岩村城主とした。
甲斐国の武田信玄が西上作戦を開始する。信玄はそれまで各地に上洛する旨を喧伝(けんでん)しており、家臣の別働隊3,000を三河に向かわせ、自身は遠江に出陣した。秋山虎繁(とらしげ)〈武田家臣〉は武田氏の軍勢で岩村城を取り囲み、おつやの方と婚姻すれば、岩村城に籠る者達を助命するという条件を突きつけた。おつやの方は、当時、織田氏が緒戦で忙しく救援が待てなかったため、その条件を受け入れて岩村城を開城し武田氏の軍門に下った。
元亀4年に、織田忠寛(ただひろ)の肝煎(きもい)りで、おつやの方と秋山虎繁との婚姻が行われた。その後、御坊丸は人質として甲斐に送られた。天正元年、信長勢は岩村城へ押し寄せたが、何もできずに撤兵した。信玄は岩村城内の土岐・織田派を仕置きした。同年、信玄は伊那郡の駒場にて没した。
天正3年織田氏と徳川氏の両軍は長篠の戦いで武田勝頼の軍勢を破ると、織田信忠〈信長の長男〉らが岩村城を包囲した。勝頼は岩村城を救援するべく出陣したが、到着するより前に、岩村城に籠城していた秋山虎繁が降伏。おつやの方を含む虎繁らは、岐阜城近くの長良川河畔へ連行され、逆磔(さかさはりつけ)に処せられた。
明暦3年に岩村藩主となった丹羽氏純(うじすみ)は処刑された秋山虎繁と、妻のおつやの方の霊の祟りにより歴代の岩村藩主が遭難したり後嗣(こうし)が夭折(ようせつ)すると言われていたため、その祟り鎮めるために、妙法寺の境内に、秋山虎繁とおつやの方を供養する「まくら冢(つか)」が残っている。
岩村町では、おつやの方にちなみ、地元の醸造会社岩村醸造が日本酒「女城主」を売り出したりして、地域おこしに活用している。

