ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1133話 虎ノ門事件

序文・摂政暗殺未遂事件

                               堀口尚次

 

 虎ノ門事件は、大正12年12月27日に、東京府東京市麹町区虎ノ門外で、皇太子摂政(せっしょう)裕仁親王後の昭和天皇無政府主義者難波大助から狙撃を受けた暗殺未遂事件関東大震災後に頻発したテロ事件の一つで、震災復興を進めていた第二次山本内閣は、引責による総辞職を余儀なくされた。

 大正12年12月27日、皇太子裕仁親王〈後の昭和天皇、当時22歳〉が摂政として第48通常議会の開院式に出席するため、貴族院へ向かうため御料車〈自動車〉に乗り、午前10時35分に皇居を発った。

 10時40分頃、皇太子の御召自動車は虎ノ門外〈虎ノ門公園側〉を通過中、芝区琴平町一番地西洋家具商あめりか屋前の群衆の中にいた難波大助が警戒線を突破して接近し、ステッキ仕込み式散弾銃で狙撃した。銃弾は皇太子には命中しなかったが、車の窓ガラスを破って同乗していた東宮侍従長・入江為守が軽傷を負った。自動車はそのまま目的地の貴族院に到着。その時点で周囲が初めて入江の出血に気づいた。

 なお、皇太子は事件後側近に「空砲だと思った」と平然と語ったとされている。皇太子は貴族院での開院式を終えて赤坂区東宮御所に戻り、内閣総理大臣山本権兵衛・警視総監湯浅倉平や皇族・武官・見舞客に引見したあと、午後には参殿した秩父宮雍仁(やすひと)親王および高松宮宣仁(のぶひと)親王とテニスをおこなった。沼津御用邸滞在中の大正天皇貞明皇后には、東宮大夫・珍田捨巳が派遣された。

 一方、難波は「革命万歳」と叫んで自動車の後を追ったが、少し走ったところで、警察官や憲兵や群衆に囲まれてしまい、人々は難波を殴るやら蹴るやら踏むなど袋叩きにした。犯人を逮捕したのは憲兵隊の者だった。それから難波は麻縄で手足を縛られて警察の自動車に押し込められ、警視庁へ連行された。車内でも両脇の警察官から散々殴られ首を絞められたり、髪を引っ張られた。難波は逮捕された後、大逆罪で起訴され大正13年11月13日に死刑判決を受けた。11月14日、皇太子と皇太子妃〈後の香淳皇后〉は裁判判決文を受け取る。11月15日、難波は死刑を執行された。

 この事件の背景には、関東大震災後の社会不安や大杉事件・亀戸事件・王希天事件などの労働運動弾圧に対する社会主義者達の反発、不満があったが、なぜそれが皇太子銃撃になったのかは不明のままである。