ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1137話 戦艦大和と共に沈んだ有賀中将

序文・艦長の最期

                               堀口尚次

 

 有賀(あるが)幸作明治30年-昭和20年〉は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。戦艦大和最後の艦長として有名である。

 有賀幸作は大和と運命を共にし戦死したが、戦死時の状況には諸説がある。

最も有名なのは、有賀が羅針儀に自身を縛り付けて大和と共に死を迎えたというものである。この説の出典は、大和の生還者でもある吉田満著のベストセラー『戦艦大和ノ最期』からである。羅針儀緊縛説はその壮絶さもあり、戦艦大和を扱った映画でも度々この説が採用され、広く巷間に知られ通説とされている。しかし出典の著者である吉田満は現場を直接見ていない。吉田は様々な生存者から聞いた話と吉田が実際に体験したことをベースに本を書いたが、噂や未確認情報なども記載され、初版出版時から抗議や疑義を受けた内容を多く含んでいた。だが、殆どそれらに対する追求取材、改訂がなされることはなかった。

 その後、防空指揮所で有賀と共にいた塚本高夫二等兵曹〈艦長付伝令〉や、江本義男大尉〈測的分隊長〉が「鉄兜を被ったまま指揮用の白軍手で羅針儀をぐっと握りしめていた」と証言したことから、有賀は大和の対空指揮所にあった羅針儀にしがみ付き、そのまま沈んだとする説が有力になっている。〈2005年に公開された東映映画『男たちの大和』では、有賀の最期をこの説に従った描写にしている〉中尾大三中尉〈防空指揮所高射砲長付〉によれば、有賀は第一艦橋に下りていき、姿を消したという。これらの証言からも、有賀は羅針儀に縄で体を縛りつけてはいないという点では一致している。

 大和沈没後に有賀が洋上で漂流し、声をかけたら海に沈んだと主張する生存者もいるが〈辺見じゅん著『男たちの大和』で紹介された説〉、状況から判断して前艦長であった森下信衛・第2艦隊参謀長を有賀艦長と見誤ったものと考えられている。

 沈没時の混乱もあり、実際の目撃談や勘違いの目撃談、あるいは虚構〈小説や映画でのフィクションの描写〉が入り乱れ、有賀の最期に付いてはいまだ不明な部分もある。

 「ありが」ではなく「あるが」と読む例が多いが、当人は相手が聞き返すことを嫌い、ありがの読み方で通した。軍帽裏のネーム刺繍もアリガとしていた。