ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1138話 神風特別攻撃隊の命名者・猪口力平

序文・道場「神風流」から

                               堀口尚次

 

 猪口力平(いのぐちりきへい)〈明治36年 - 昭和58年〉は、日本の海軍軍人。海兵52期。最終階級は海軍大佐。戦後改姓し、詫間力平となった。神風特別攻撃隊命名

 昭和19年10月19日夕刻、マバラカットに第一航空艦隊長官に内定した大西瀧次郎中将が到着した。大西中将は猪口と二〇一空副長玉井浅一中佐などを招集し、航空機による体当たり攻撃を提案した。玉井が人選を行ったが、指揮官の選考で猪口海軍兵学校出身者がいいと注文し、関行男が選ばれた。また、猪口は「神風特別攻撃隊」の名前を大西に提案し認められた。10月20日、大西による訓示と部隊名発表があり、神風特別攻撃隊が編成された。猪口によれば、「神風」の由来は郷里の道場「神風(しんぷう)流」から名付けたものである。

 昭和26年、猪口は、神風特攻隊の歴史・記録を残すため、『神風特別攻撃隊』を中島正との共著で出版する。この著書に対し、作家大岡昇平等からは「元参謀が『きけわだつみのこえ』〈昭和24年刊〉に対抗して神風特攻を正当化するために書いた本であるから志願を美化する意向が働いている」という批判もあった。 

 生出寿は、『神風特別攻撃隊』の内容につき、特攻の責任を大西瀧治郎の推進と特攻隊員本人の志願に押し付け、自身らに責任はないとしているようだと評している。本には、特攻は現場兵士らの熱望によって生まれ、志願者は後をたたなかったと書かれ、その裏付けるとして数通の遺書が引用されている。これらの遺書は、第二復員省が民間の近江一郎なる人物を支援し、近江が特攻隊員の遺族らから自身の訪問すら口止めして回収していたもので、この近江とやり取りしていたのが猪口力平であったことが、今日判明している。

 猪口の長男・詫間晋平は、調査や遺書の回収は、亡くなった隊員の慰霊に使う為だったのではないかと語るが、元海軍大尉・横山岳夫によれば、本来の目的は回収ではなく遺族の意識調査で、海軍復活を目指していた関係で不都合な事実を消す為に遺族のもとから遺書を回収したのではないかと語っている。近江は5年間で全国40の道府県、およそ2000の遺族の元をほとんど1人で訪れたはずであるが、本の中で公表された遺書はわずか7通に過ぎない。