序文・皇室や国家の象徴
堀口尚次
菊花紋章(きっかもんしょう)は、キク科キク属のキク〈菊〉を図案化した菊紋のうち、特に花の部分を中心に図案化した家紋のことである。菊花紋、菊の御紋ともいう。単に菊紋と言う場合は葉、菊、花を組み合わせるか、いずれかを図案化したものも含める。
十六八重表菊は、皇室の紋章として知られる。転じて日本の事実上の国章としても使われており、大日本帝国憲法や日本国憲法の原本を納めた箱の蓋にも刻まれている。また大正15年以来日本の旅券に刻まれているのは十六一重表菊である。
平安時代には、陰暦9月を菊月と呼び、9月9日を「重(ちょう)陽(よう)の節句」「菊の節句」とし、菊花酒を飲む「菊花の宴」「菊花の杯」で邪気を払い、長命を祈った。菊文様も吉祥文様として、好んで装束に用いられた。鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、ことに32弁の八重菊紋である十六葉八重表菊が皇室の紋として定着した。江戸時代には幕府により厳しく使用が制限された葵紋とは対照的に、菊花紋の使用は自由とされたため一般庶民にも浸透し、菊花の図案を用いた和菓子や仏具などの飾り金具が作られるなど各地に広まった。
菊は「菊花紋章」から皇室の代名詞とされ、幕末の流行り歌にも「菊〈=皇室〉は咲く咲く、葵〈=徳川将軍家〉は枯れる」と歌われている。日本軍においても、幕府や諸藩が明治政府へ環納した小銃に種々様々な紋所や刻印が刻まれていたのを、菊花紋章に改刻して統一したのを端緒に、村田銃以降のすべての国産軍用小銃に刻印されていた。これらの小銃を部外に払い下げる場合には、菊花紋章を削り取る、または丸印等の刻印を重ねて打って潰す措置が行われた。また六郡の軍旗〈連隊旗〉の旗竿先端〈竿頭〉や、海軍の軍艦の艦首に金色の菊花紋章が付されていた。
桐紋(きりもん)とは、ゴマニハグサ科の樹木であるキリ〈桐〉の葉や花を図案化した、家紋などの総称である。桐花紋(とうかもん)とも呼ばれる。桐紋は菊花紋章と並び、皇室の家紋として名高い。皇室の承認を受けた為政者に対して下賜されてきた紋章でもあり、明治以降現在に至るまで慣例的に内閣の紋章として使用されている。