序文・共産党軍 対 国民政府軍
堀口尚次
八路(はちろ)軍とは、日中戦争時に華北で活動していた中国共産党軍の通称である。1937年8月22日毛沢東と朱徳が率いる中国工農紅軍が、中国国民政府の国民解放軍に編入されて第八路軍と呼称されたことに由来している。国民革命軍が戦時用の編制に移行していく中で、9月12日に第十八集団軍に改称されたが、共産党内では「八路軍」が党員用の公式名称として使われ続けた。9月23日に第二次国共合作が成立している。華南で活動していた新四軍と共に現在の人民解放軍の前身になった。
1945年8月、日本軍の降伏が目前に迫ると、毛沢東は八路軍と新四軍を併せて中国解放区抗日軍に再編改称し、国民革命軍から分離した。9月の日本軍武装解除後に再開された国共内戦の中で共産党軍は優位に立った。ソ連は満州で接収した関東軍の装備をそのまま共産党軍に与えた。共産党軍が初めて保有した戦車功臣号も関東軍兵器の転用だった。
また日本兵を含む残留日本人を積極的に編入して軍事技術や専門技術を得た。空軍のなかった共産党軍は林弥一郎少佐以下関東軍第二航空団第四練精飛行隊員を取り込み、東北民主連軍航空学校を設立して航空部隊を養成した。また正規の砲兵隊がなかったので日本軍人・日向勝を始めにした日本人教官の元で砲兵学校を設立した。医師や衛生兵や看護師など戦争に欠かせない技術を持つ者には残留を求め、国共内戦勝利後も引き続き協力を依頼した。1947年9月に中国共産党は中国解放区抗日軍を中国人民解放軍に改称した。1949年秋までに中国共産党は国民党勢力を中国大陸から駆逐し、10月に中華人民共和国を樹立した。
林弥一郎は戦後、ソ連軍への降伏を拒み、部隊を率いて山中に潜伏したが、食料が尽き、中国国民政府軍に降伏することにしたが、誤認により、中国共産党軍に降伏し、捕虜となった。林彪(りんぴょう)や中国共産党中央東北局の彭真(ぼうしん)書記に中国共産党軍の航空隊設立を要請され、部下300人の生活保証と引き換えに受諾した。1946年1月1日に航空総隊を設立し、隊長に次ぐ副隊長兼参議に任命された。こうして八路軍に参加した林は、中国人民解放軍空軍の創設に貢献した。
【私見】日中戦争で中国と戦った日本軍人が、敗戦後に中国共産党に請われて中国の内戦で戦ったことは、なんと数奇な運命であろうか。
