ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第1151話 ねじりまんぽ

序文・明治時代の土木技術の結晶

                               堀口尚次

 

 ねじりまんぽとは、アーチ橋を斜めに架けるための組積造(そせきぞう)の技法である。

専門用語では斜架拱(しゃかきょう)と呼称する。

 ねじりまんぽとは、明治・大正期に建設されたレンガ構造の土木構造物で、トンネル状の斜めアーチを煉瓦・石材により組積造で構築する技法の一つである。斜架拱の一種。ねじりまんぽの「まんぽ」は近畿地方でトンネルのことを指す方言で、マンボ、マンプウ、マンボウなどとも言われる。

 ねじりまんぽは、海外では鉄道の普及より前、19世紀以前には既に存在していたと考えられており、一説にはルネサンス期の1530年代、イタリア・フィレンツェのムニョーネ川に架かるPonte Rossoが最初期のねじりまんぽともいわれている。鉄道構造物としてのねじりまんぽの初期の例としては、1829年建造のイギリス・マージーサイドにあるレインヒルのアーチ橋が知られている。

 日本国内では、日本における本格的鉄道技術の出発点である、明治7年開通の東海道本線・大阪-神戸間でお雇い外国人のイギリス人技師によって初めて採用された。明治10年5月、明治新政府大阪駅構内に鉄道技術者の育成機関、工技生養成所〈工部省鉄道局工技生養成所〉を設立した。工技生養成所ではイギリス人鉄道技師により数学・測量・製図・力学・土木学一般・機械学・運輸大要などの教育が行われた 。

 ねじりまんぽも、この工技生養成所出身の技術者たちの活躍により日本各地へ広がっていった。ねじりまんぽの多くは近畿圏に存在するが、北は新潟県から南は福岡県までの日本列島の広い範囲で建造された。明治期には普遍的な技法であったが、大正初期、コンクリート橋の普及により、ねじりまんぽの建設は途絶えた。

 日本では前述の理由により鉄道構造物としての採用が殆どで、琵琶湖疎水蹴上(そすいけあげ)インクラインのものは鉄道以外では希少な採用例である。

 三重県三岐鉄道北勢線にある「六把野井水(ろっぱのゆすい)拱橋(きょうきょう)」は「日本の近代土木遺産 - 現存する重要な土木構造物2000選」の認定を受けている。無筋コンクリート製のアーチ橋で、斜橋〈ねじりまんぽ〉となっており、土木技術的にきわめて貴重なものである。また、この橋の阿下喜(あげき)駅側にある「明智川拱橋」は無筋コンクリート製の3連アーチ橋となっており、北勢線列車の好撮影地である。

※筆者撮影