序文・東条首相知りながら開戦
堀口尚次
総力戦研究所は、大日本帝国において昭和15年施行の勅令第648号により開設された、内閣総理大臣直轄の研究所である。
この機関は国家総力戦に関する基本的な調査研究と“研究生”として各官庁・陸海軍・民間などから選抜された若手エリートたちに対し、総力戦体制に向けた教育と訓練を目的としたものであった。
陸軍省経理局に置かれていた「戦争経済研究班」、通称「秋丸機関」の機能を引き継いだ機関で、本来の目的は「国防」という問題について一般文官と軍人〈武官〉が一緒に率直な議論を行うことによって国防の方針と経済活動の指針を考察し、統帥の調和と国力の増強をはかることにあったとされている。総力戦研究所構想は企画院第一部長の沼田多稼蔵の発案だったとされ、内閣情報局分室跡で開所されることとなった。
第一期生の入所から3か月余りが経過した昭和16年。2代目所長・飯村穣〈陸軍中将〉は研究生に対し、日米戦争を想定した第1回総力戦机上演習〈シュミレーション〉計画を発表。同日、研究生たちによる演習用の青国〈日本〉模擬内閣も組織された。
模擬内閣閣僚となった研究生たちは7月から8月にかけて研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項〈兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など〉について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。
その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国〈日本〉の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。これは、現実の日米戦争における戦局推移とほぼ合致するものであった〈原子爆弾の登場は想定外だった〉。
この机上演習の研究結果と講評は首相官邸で開催された『第一回総力戦机上演習総合研究会』において時の首相・近衛文麿や陸相・東条英機以下、政府・統帥部関係者の前で報告された。これに対し東條は「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習である、なおこの机上演習の経緯を、軽はずみに口外してはならぬ」と述べている。開戦三カ月前のことであった。