序文・日本からの行政分離
堀口尚次
大島大誓言(だいせいごん)、通称・伊豆大島暫定憲法は、第二次世界大戦後の占領期に東京都の伊豆大島で作られた、大島独立に向けての暫定憲法である。昭和21年1月29日のGHQ覚書発令から同年3月22日まで、伊豆諸島が日本の施政権から分離されたことを背景に作成された。伊豆諸島の本土復帰によりその施行は幻となったが、平成9年に原本や制定当時の資料が発見されて以降、背景の解明が進められている。
日本の降伏後、GHQは昭和20年9月2日付の指令第1号で、「日本国委任統治諸島、小笠原諸島及他の太平洋諸島」については米海軍太平洋艦隊司令官の管轄下に、日本本土とこれに隣接する諸小島、琉球諸島、南朝鮮とフィリピンについてはGHQの管轄下に置くことを命令している。同月20日には、グアム基地に駐留していた米海軍太平洋艦隊の部隊が大島の波浮港に偵察のため来航した。南の島々を制圧してきた米海軍太平洋艦隊にとっては、小笠原諸島と本土との間に連なる伊豆諸島は「太平洋諸島」の延長上にあるものと認識されたらしく、GHQもそれを黙認するように、米海軍太平洋艦隊上陸の3日前に日本陸軍へ上陸の事前通告を送っている。米軍は既に武装解除を進めていた日本軍の内地送還を監視するのみで、任務修了後も海軍が司令部を設けたことはなく、島の行政機能は東京都の出先機関である大島支庁と各村が担っていた。
具体的な経過としてはまず、1月30日または31日に当時の伊豆大島6ヶ村による村長会、2月1日には大島支庁や金融機関等も含めた合同協議会が開かれ、島の民主的自治・島民生活の安定・世界平和に寄与する政治団体の創設に向けた申し合わせがなされた。2月7日に、大島議会の議員選挙にかかわる準備委員の選定会議が開かれている。2月21日に大島駐屯隊長ライト大尉から元村〈現在の大島町元町〉村長・柳瀬善之助に対し、日本からの行政分離と、軍は当面の間行政機関を置かず監督のみ行う旨の通達があった。
これを受けて、2月末には6ヶ村の村長の会合、3月1日には合同協議会が再度開かれた。3月3日の準備委員会議により各村から選出された準備委員が集まり、「大島自治会議」による協議が進められる運びとなっている。暫定憲法案はこの3月のどこかで発せられたものと見られる。
これと並行する形で、柳瀬は立法・行政府にあたる「最高政治会議」、司法府に相当する「自治運営協議会」などの素案作成に着手している。2月25日には、柳瀬以下5名を幹部とする「大島島民会〈仮称〉」が設立され、設立趣意書とともに「大島島民会規約〈案〉」が提出された。23条からなるこの規約は、おおむね「大島共和国」樹立の素案と言ってよいものであった。島民会は2月27日・28日に会議が重ねられ、選挙民・非選挙者資格や委員定数などの原案が策定されている。暫定憲法の最終案は、この原案をもとに成立したものと思われる。
伊豆諸島はこの間、日本政府の統治とも米軍の軍政ともいえない、奇妙な政治的状況に置かれていた。米海軍太平洋艦隊に完全に取り上げられたのは司法権のみで、本土との交通も制限付きではあるが認められており、行政機構は継続され、日本の法令も生かされたままであった。大島に下された2月21日の行政分離通達も、現実と乖離した、権限を越えるものとして都庁や大島支庁では重視しなかった。
伊豆諸島の行政分離については、本土の側でもGHQへの確認が進められた。2月13日には、米海軍太平洋艦隊に際して日本政府とGHQの間に会談が持たれている。ここで覚書の真意を尋ねる日本側の黄田多喜夫連絡官の質問に対し、GHQは「従来行われ来りたるもの〈軍政〉を確認したるものにすぎず〈…中略…〉例えば大島は米海軍太平洋艦隊の所管」と述べる。伊豆大島など連合軍の機関がない地域では日本の行政機能を存続する必要があるのではないか、という問いに対しては「引き続き機能を営むの要あり」と回答しており、GHQとしては軍政を布く意思のないことを明らかにしている。GHQ側の委員はこの際、日本政府側に「伊豆七島に米海軍太平洋艦隊が未駐屯なりといふは確かなりや、奄美大島には駐屯済なり」と反問を投げかけており、すでに海軍司令部が軍事支配を樹立しているものと誤認していた節がみられる。
この後、戦争連絡中央事務局はGHQ宛に「伊豆諸島の地位に関する通報の要請」と題する文書を送り、島に滞在している公務員の地位と俸給の支払い、司法関係、内地から島への物資輸送・送金、児童の内地進学の可否等について細かく尋ねている。GHQは司法権〈訴訟書類の送達、喚問、恩赦等〉については否定したものの、その他は米海軍太平洋艦隊と連絡する必要があるとして具体的な回答を示しておらず、この書簡は軍部から難問題として大統領まで進達された形跡がある。昭和21年3月22日、GHQは伊豆諸島を日本に復帰させる指令を出し、日本政府は伊豆大島への施政権を回復した。