序文・語る資格がない
堀口尚次
「敗軍の将は兵を語らず」は中国の武将・項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)が争っている時代、劉邦の配下として活躍した韓信(かんしん)によって打ち破られた項羽陣営の李左車(りさしゃ)の言葉。
「井陘(いけい)の戦い」で劉邦陣営の韓信が項羽陣営の李左車を打ち破り、捕らえた。紀元前204年頃、項羽の楚軍(そぐん)と劉邦の漢軍が中原〈黄河中下流域にある平原〉で戦いを続けていた時、韓信がみごとな働きで勝利を漢軍にもたらした。
その戦いの一つに趙(ちょう)との戦いがある。趙には李左車という参謀がいました。この参謀が趙王に奇襲を献策しますが王は取り入れません。やがて韓信の「背水の陣」の戦いにより趙は破れます。韓信はこの時李左車を生け捕りにし、丁重に師弟の礼を取って「この後私は北方の燕(えん)と東方の斉を討とうと思うのですが、どうすればうまくいくと思いますか?」と教えを請います。すると李左車は「敗軍の将は勇を語るべからず、亡国の大夫は存立を図るべからず〈敗軍の将軍は武勇について語る資格はなく、滅んだ国の家老は国の存立を図るべきではない〉」と言って策を献じることを謝辞します。李左車のこの時の言葉が「敗軍の将は兵を語らず」の元になっています。
【私見】プロ野球中日ドラゴンズの立浪監督が、今季限りで監督を辞任することになり、ペナントレース最終戦後の挨拶で「負けたので多くは語れません」と締めくくった。「語りません」ではなく「語れません」と言ったところに『敗者の美学』みたいなものを感じた。「負けた将〈監督〉には敗因を語る資格がない」という美学だ。「語りません」にすると、「負けたのには原因があるが私からは話せない」となり、責任転嫁のようにも聞こえてしまう。高校野球名門PL学園出身の立浪氏は、そこで学んだことの「感謝しなさい・徳を積みなさい・人の嫌がることを率先してやりなさい・謙虚でありなさい」を実践されたのだと思う。