序文・人種差別との闘い
堀口尚次
モンゴメリー・バス・ボイコット事件は、1955年にアメリカ合衆国アラバマ州モンゴメリーで始まった人種差別への抗議運動である。事件の原因は、モンゴメリーの公共交通機関での人種隔離政策にあり、公民権運動のきっかけの一つとなった。
1955年12月1日、市営バスに乗車したローザ・パークスは「黒人優先席」の最前列に座っていた。次第に乗車して来る白人が増えてきたため、運転手のジェームズ・ブレイクは、黒人席の最前列を白人席に変更し、座っていた4人の黒人に席を空けるように指示したが、パークスはこれに従わなかった。ブレイクはアラバマ州警察に通報し、パークスは、「運転手の座席指定に従わなかった」という理由で逮捕された。
ローザの逮捕を知った社会運動家のエドガー・ニクソンは、ジョージア州アトランタからモンゴメリーの教会に移ったばかりの若き牧師マーティン・ルーサー・キング・ジュニアらに、バス乗車ボイコット運動の組織化を持ちかけた。
キング牧師らが、路線バスへの乗車ボイコットを呼びかけると、肌の色を問わず多くの市民がこれに応じた。特にバス利用者の約4分の3を占めていた黒人が一斉に利用しなくなったことにより、市のバス事業は経済的に大きな打撃を被った。
1956年11月13日、連邦最高裁判所は、地方裁判所の判決を支持する形で、モンゴメリーの人種隔離政策に対して違憲判決を下した。そして運動は1956年12月20日に公式に終了した。
1999年、パークスに議会名誉黄金勲章が授与された。更に2021年、パークスが逮捕された日を連邦祝日に指定する法案が連邦議会に提出されている。
アメリカの南北戦争は、奴隷解放戦争としての性格を性格の一つとして帯びていた。多くの黒人奴隷に経済基盤を支えられ、奴隷解放に反対していた南部の各州が敗れると、制度としてのアメリカの奴隷は、撤廃・解放されたが、実質的な差別は、根強く残った。第二次世界大戦後の歴史では、ベトナム戦争の反戦運動に関連してマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師による公民権運動が、多数のアメリカ市民に影響を残した。