序文・連立ちゃんぽん
堀口尚次
連立政権とは、複数の政党で政権を担当すること。また、内閣が複数の政党から成り立つ事を連立内閣と呼ぶ。ただし、第2次橋本内閣のように組閣は自民党単独であるが、閣外協力の形で、社民党、新党さきがけのような政党が、連立政権に参加するといったパターンも考えられる。そのため組閣は単独だが、閣外協力をする与党が存在する場合を新聞などでは「連合政権」といって区別することもある。多くの場合議院内閣制をとる国で、どの政党も議会内において単独で過半数を制し得ないときに成立する。また政党システムが二大政党制となっている場合には一政党が単独で過半数を制することが多いので成立しにくいが、多党制となっている場合には単独政党では過半数に及ばないことが多いので成立しやすい。
日本では、戦前や戦後の混乱期、昭和30年の保守合同で自由民主党が成立するまでは連立政権が多く見られた。以後、長期にわたって自民党の単独政権が続いた。いわゆる55年体制以降で連立政権が初めて誕生したのは昭和58年の自由民主党と新自由クラブとの連立である。昭和54年の衆議院総選挙直後、第2次大平内閣の発足時は伯仲国会となり、新自由クラブとの閣内連立を模索したこともあったが、結局与党内の反発や新自由クラブ内での路線対立などもあってご破算になった。
しかし、昭和61年の死んだふり解散による衆参ダブル選挙において自民党が衆参で絶対安定多数を確保して連立相手の新自由クラブが吸収合併されると、暫くはまた自民党の単独政権が続いた。また、平成元年の第15回参議院議員通常選挙で、自由民主党が非改選議席を合わせても過半数に届かず大敗を喫したが、当初は野党、特に公明党と民社党との妥協を図る自公民路線で自民党単独政権を維持していた。
状況が一変したのは、8党連立となった平成5年の細川内閣以降である。これ以降は、衆議院で単独過半数または絶対安定多数を獲得した政党は現れたが、参議院で単独過半数を得る政党が出現せず、連立を組まざるを得ない状況が慢性化している。