序文・八歳の少年に感銘を受けた乃木将軍
堀口尚次
東京都港区指定文化財に指定されている旧乃木邸の脇に、乃木将軍こと乃木希典(まれすけ)と辻占い売りの少年の出会いを描いた銅像があるり、以下の説明文がある。
『乃木将軍と辻占い売りの少年のお話は、明治24年、乃木希典が陸軍少将の時代に用務で金沢を訪れたときのお話です。希典は金沢で偶然、当時8歳の今越清三郎少年に出会います。今越少年は辻占いを売りながら一家の生計を支えていました。この姿に感銘を受けた希典は少年を励まし、金二円を手渡しました。今越少年はこの恩を忘れることなく、努力を重ね、金箔業の世界で大きな実績をあげました。この銅像は、こうした乃木希典の人となりを伝えるものとして、昭和43年に六本木六丁目の旧毛利家の池〈ニッカ池〉の畔に立てられました。六本木六丁目開発のおり、乃木将軍縁のここ旧乃木邸に移されました。』
元々の辻占(つじうら)は、夕方に辻〈交叉点〉に立って、通りすがりの人々が話す言葉の内容を元に占うものであった。江戸時代には、辻に子供が立って御籤(みくじ)〈これも一種の占いである〉を売るようになり、これも辻占と呼んだ。さらに、辻占で売られるような御籤を煎餅に入れた辻占煎餅が作られ、これのことも辻占と呼んだ。石川県の金沢市には正月に色とりどりの辻占煎餅を、縁起物として家族で楽しむ風習があり、現在も和菓子店における辻占の製作風景は、年末恒例の風物詩となっている。
乃木将軍と辻占売り少年のエピソードは、繰り返し語られ、大正、昭和にかけて美談として、教科書、浪曲、講談、映画として取り入れられ、多くの国民の知るところとなり、昭和7年浪曲のレコード「乃木大将と辻占売り」はは寿々木米若により浪曲ベストセラーとなり、昭和13年には浪曲映画も制作。戦後は、テレビ放送や新聞報道で、更に全国に知れ渡ることになり、昭和37年には、NHK「私の秘密」に出演。昭和40年函館の自衛隊に「乃木将軍と辻占売り少年」の銅像が立てられ、昭和43年には、東京・麻布の旧毛利邸跡に「乃木将軍と辻占売り」の銅像が建立され、この銅像が2001年に旧乃木邸に移された。
今越清三郎は、昭和2年に宮内省より、王座の金屏風にようする箔の御用を拝命。昭和4年伊勢神宮に金箔5万枚の御用。昭和6年大阪城再建に大量の金箔を納入。昭和25年 金閣寺再建の金箔ご用命。昭和41年滋賀県文化財保護条例により「無形文化財」に指定される。