序文・無分別智
堀口尚次
「みにくいアヒルの子」は、デンマークの代表的な童話作家・詩人であるハンス・クリスチャン・アンデルセン原作の童話。1843年発表。
アヒルの群の中で、他のアヒルと異なった姿のひなが生まれた。アヒルの親は、七面鳥のひなかもしれないと思う。周りのアヒルから、あまりに辛く当たられることに耐えられなくなったひな鳥は家族の元から逃げ出すが、他の群れでもやはり醜いといじめられながら一冬を過ごす。生きることに疲れ切ったひな鳥は、殺してもらおうと白鳥の住む水地に行く。しかし、白鳥たちの意外な反応にひな鳥は水面に映る自分の姿を見る。いつの間にか大人になっていたひな鳥は、自分がアヒルではなく美しい白鳥であったことに気付くと、それまでの悲しみから解放される。
「幸せを数えたら 5分あれば足りる 不幸せ数えたら 一晩でも足りない
いくら心がきれいでも みにくいアヒルの子では嫌だと 泣いた夜さえいつの日か 笑い話になるものさ」という歌が昔ヒットした。
私達は得てして、目の前〈目に見える〉の幸福に飛びつこうとするものだ。それは、幸福という我欲を得るための「煩悩の無間地獄」に陥っていくことに他ならないのだ。
仏教の禅の教えに「足るを知る」というものがある。Wikipediaによるとこれは、『身分相応に満足することを知るということを意味する。現在の状態は足りているということを知り、それ以上は求めないようにするということを意味する。分をわきまえるという言葉が存在しているが、意味は異なっている。分のわきまえるとは、自らの身の程を知りでしゃばった行動を控えるようにするということを意味する。対して足るを知るとは満足することを知るということで、知る事柄が異なっている。現代社会で広く用いられている足るを知るは、老子の足るを知る者は富むという考えからであるとされている。これは満足するということを知っている人は、貧しかったとしても精神的には豊かで幸福であるということである。老子は、人間の欲求や欲望は際限が無くどこまでも沸いてくるため、現在よりも上を求め続けるならばいつまでたっても幸せになることはできないとしていた。欲によって人生を振り回されたり、人と争わないためにも今の状態に満足することが大切であるとする。』とある。