ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第1239話 豆腐売りのラッパ

序文・哀愁の音色

                               堀口尚次

 

 天明2年に刊行された『豆腐百珍』には、100種類の豆腐料理が記述されている。また、豆腐は様々な文学でも親しまれてきた。当時より、豆腐は行商もされており、前述の豆腐百珍は大きな人気を得るほど一般的な料理であった。

 行商の豆腐屋ラッパや鐘を鳴らしながら売り歩いていた。関東地方では、明治時代初期に乗合馬車や鉄道馬車の御者が危険防止のために鳴らしていたものを、ある豆腐屋が「音が“トーフ”と聞こえる」ことに気づき、ラッパを吹きながら売り歩くことを始めたものである。

 その由来のようにラッパは「豆腐」の高低アクセントに合わせて2つの音高で「トーフー」と聞こえるように吹くことが多いが、地域や販売店によっても異なり、「トー」と「フー」が同じ音高の場合もある。2つの音高を使うラッパの場合、1つのリードで2つの音高が出る仕組みになっており、呼気と吸気で音高が変わる。

 スーパーなどが増えて歩き売りをする豆腐屋が減ったものの、近年では昭和の頃のように地域に密着した商売をする人も出て来ており豆腐屋のラッパが復刻されている。近畿地方では、豆腐屋ラッパではなく鐘〈関東ではアイスクリーム屋が用いていた〉を鳴らしていた。

 あのラッパは「宮本ラッパ」といい、明治15年に市内の鉄道馬車に使用されたのが始まりのようだ。北海道では郵便夫が熊追用として使用していた例もある。明治36年、市街電車の開通により地方へ移り、豆腐屋の売り声代わりに使用されたのが広まったようだ。『宮本喇叭製作所』の名称で製造されていた。