ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1244話 五平餅

序文・五平と御幣

                               堀口尚次

 

 五平餅(ごへいもち)は、中部地方の山間部〈長野県木曽・伊那地方、岐阜県東濃・飛騨地方、富山県南部、愛知県奥三河地方、静岡県北遠・駿河地方〉に伝わる郷土料理。粒が残る程度に半搗(つ)きにした粳米(うるちまい)飯にタレをつけ、串焼きにしたものである。「御幣餅」とも表記する。長野県では「御幣餅」の名称で「長野県選択無形民俗文化財〈味の文化財〉」に選択されている。

 宝暦4年頃、長野県飯田市の大平(おおだいら)宿に大蔵五平という杣司(そまし)〈山林の管理者〉が住んでいた。毎日、五平は昼飯として、にぎり飯を平にし、味噌をつけて焼いて食べた。当時は、わらじの形で、五平五合と言って1人前の量だった。これを見た連れの者達が、五平餅と名付け、春と秋の山の神へのお供えし物としたり、来客の接待に出すご馳走として、大平宿を起点として、馬籠宿や妻籠宿といった、宿場町を通して広まっていったと考えられている。

 神道において神に捧げる「御幣(ごへい)」の形をしていることからこの名がついたとする意見もある。御幣とは、神道の祭祀で捧げられ用いられる幣帛(へいはく)の一種で、2本の紙垂(しで)を竹または木の幣串に挟んだものである。実際、「御幣餅」と表記して販売しているところもある。また五平、あるいは五兵衛という人物〈樵(きこり)であったり猟師であったり、また大工とするものもある〉が飯を潰して味噌をつけて焼いて食べたのが始まりとする伝承も各地に形を変えて存在する。

 いずれにせよ、江戸時代中期頃に木曽・伊那地方の山に暮らす人々によって作られていたものが起源というのが濃厚である。米が貴重であった時代、ハレの食べ物として祭りや祝いの場で捧げられ、食べられていた。

 一枚の「わらじ型」または「小判型」といえる扁平な楕円形に、ご飯を平たい竹または木の串に練りつけたものが最も一般的である。地域によってバリエーションが多くあり、楕円形ではなくほとんど円形のものもある。また、小さな円盤型のご飯を複数刺したもの、店で売られているものには団子状で、見た目がほとんど普通のみたらし団子と変わらないものもある。地域によって、タレのベースに醤油を使うか、味噌を使うか、ゴマとクルミを使うか、エゴマを使うかは、異なる。エゴマをベースに醤油と砂糖で仕上げるのは、木曽地方中北部から飛騨地方にかけての特徴である。クルミを使っていた地方では、近年は入手しやすいピーナツをクルミの代わりに使うこともある。