ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1247話 名鉄豊川線の怪

序文・路面電車登録?

                               堀口尚次

 

 豊川線は、国府駅から豊川稲荷駅までを結ぶ名古屋鉄道名鉄〉の軌道路線〈軌道とは元来は主として路面電車を対象としてきた〉である。全線が愛知県豊川市内にある。

 豊川稲荷への参詣路線として年末年始には混雑する。全線が鉄道事業法ではなく軌道法に基づく軌道として建設されたが、全区間専用軌道で、自動閉塞〈衝突を防ぐための信号保安システム〉を採用し、鉄道線と同じ大型の電車が運行される。ただし、開業当初は「豊川市内線」と呼ばれ、路面電車タイプの電車が充当されていた。岐阜地区の岐阜市内線美濃町線田神線が2005年3月31日限りで廃止された後は、名鉄唯一の軌道線となった。

 太平洋戦争中、豊川海軍工廠への通勤輸送を目的に国府駅 - 市役所前駅〈現:諏訪町駅〉間が建設された。戦時中のため、レールは他線区からの流用品で賄(まかな)われた〈どこから流用されたかは「旧・西尾線〈岡崎新 - 西尾〉」、「碧西線〈今村 - 西尾〉」、「渥美線三河田原 - 黒川原〉」 など諸説ある〉。豊川変電所は渥美線の天白変電所の機器、車両は瀬戸線揖斐線谷汲線の車両を転用して賄われた。

 終戦後、豊川市によっていち早く路線延長の計画が進められ、昭和23年には運輸省の許可を得て、都市計画街路に沿う形で、市役所前駅 - 豊川駅前広場間の路線延長に取り掛かるものの、着工直前に街路の拡張に関して土地問題がこじれ、中止を余儀なくされている。

 名古屋・岡崎方面からの豊川駅までの乗り入れは、大正15年に伊奈駅から分岐して小坂井駅に至る小坂井支線を通り、小坂井駅から豊川鉄道線〈現在のJR飯田線〉に直通運転することで果たしており、豊川鉄道が飯田線として国有化された後も続行した。しかし、次第に豊川鉄道時代のような運行が困難となり、抜本的な輸送力増強が必要となったため、昭和29年に豊川線豊川稲荷駅まで延伸、小坂井支線は廃止された。

 現在も軌道法に準拠する路線であるが、線路設備や運転取扱いは鉄道線である他路線と同格であり、使用車両の制限もない。