ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1265話 鬼の首塚

序文・関の太郎

                               堀口尚次

 

 岐阜県可児郡御嵩(みたけ)町に「鬼の首塚」なる史跡があり、先日そこを訪れた。現地の看板『鬼の首塚〈天神塚〉町重文』には以下の説明書きがある。

『伝説のよれば鎌倉時代の建久、正治の頃〈1190~1200〉頗(すこぶ)る凶暴で悪行三昧の男が次月(しづき)の鬼岩の岩窟に住み着き乱暴狼藉を極め住民を大いに悩ませました。この者は西美濃不破(ふわ)の関の生れであったため、住民はこれを「関の太郎」とか「鬼の太郎」と呼び怖れていました。そこで正治元年〈1199〉人々はこの地の地頭交告(こうけつ)源吾盛康にこの惨状を討え退治してもらうことにしましたが盛康は京の地にあり、おいそれと帰ることができませんでした。そこで自分の家臣四名に太郎を討つことができなかったため、蟹薬師に祈願したところ、太郎が女装し祭礼に来るとのお告げがあり、そのお告げのとおりに四月一日の祭礼の日に女装した太郎が現れ、それを捕らえ首を切ることができました。四人の者は太郎の首を首桶に入れ、検分のため都へ運ぼうとしたところ急に首桶が重くなり一歩も進むことができなくなりました。すると首桶を縛っていた縄が切れ中から首が転げ落ち、落ちた首も動かすことができなくなったため、それをこの地の埋めました。これが「鬼の首塚」の由来といわれています。首塚のあるあたりを「桶縄手」と呼び、木曽街道膝栗毛(ひざくりげ)の著者十返舎一九もこの地のことを詠んだ歌を残しています。【桶縄手 今もその名を 朽ちさりき 塩漬けにせし 鬼の首かも】御嵩町御嵩町観光協会

 また岐阜県観光連盟の「岐阜の旅ガイド」のホームページには以下の記述がある。『現在でも首塚は残っており、地元の方々によって守られています。また、関の太郎の住処であったと言われる鬼岩では福鬼伝説〈退治された後、福鬼として蘇ったというお話〉になぞらえ、毎年節分の時期に福鬼まつりが開催されています。祭りでは鬼は福を呼ぶとされているため「鬼は内、福は内」という変わった掛け声で豆を撒きます。』更に鬼岩公園については『鬼岩という名は、およそ800年程昔、この岩山に「関の太郎」という鬼人が住み、近隣の住人や東山道を山越えする旅人に悪行の限りを尽くしたので、後白河法皇の命をうけた「纐纈源吾能康公」に依って誅伐されたという伝説にちなんでおり、”おそろしや次月の里の鬼すすき”の古句が今も伝えられています。』とある。私は中学生か高校生の時の遠足で「鬼岩公園」を訪れており、御縁を感じた。

※筆者撮影