ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第1281話 順次廃止されたトロリーバス

序文・日本無軌道電車

                               堀口尚次

 

 トロリーバス とは、道路上空に張られた架線架空電車線から取った電気動力として走るバスを指す。「トロリー」とは、集電装置の先端に備わる「触輪」のこと。外観も操縦法も普通のバスに近い。日本では、かつて都市部の路上で運行されていた当時は軌道法、その後は鉄道事業法に準拠する交通手段として、鉄道車両に分類されている。電気バスも同じく電気で走るが、架線からの集電装置がなく、法律上は自動車扱いとなることからトロリーバスには含まれない。明治45年には東京市電気局によってトロリーバスの実験車両が試作され、4月11日に浜松町の工場から数寄屋橋車庫まで運転された。また、大正15年には日立製作所がフォード製の自動車を改造し、三相交流式のトロリーバスを試作している。

 日本におけるトロリーバスの初めての営業運転は、昭和3年8月1日に阪神急行電鉄〈現在の阪急電鉄〉花屋敷駅〈廃駅〉と新花屋敷〈現在の川西市満願寺町付近〉の間1.3キロメートルを結ぶ区間で運行を開始した日本無軌道電車とされる。温泉宿・遊園地へのアクセス路線として、当時のバス〈ガソリンエンジン〉では登坂不可能であった急勾配を越えるためのものだった。しかし業績不振により、昭和7年1月に休業、同年4月には廃止され、開業後わずか4年弱という短命に終わった。

 都市交通機関として初めて開業したのは、昭和7年京都市電気局〈現在の京都市交通局〉の京都市トロリーバスである。その後、昭和18年名古屋市交通局名古屋市トロリーバスが開業するまでこれが日本唯一のトロリーバス路線であった。

 戦後になって、多くの大都市にトロリーバス路線が開業した。その背景には、当時の内燃機関のバスは大型化には対応していたが、依然として出力性能が低く頻繁な整備が必要な上、騒音や振動にも改善の必要がある状況だったため、電車の技術を応用して車体の大型化に対応できるトロリーバスに期待が集まったこと、また路面電車に比べて建設費が1/3で済むことなどがあった。しかし架線下しか走れないこと、モータリゼーションによる自動車の増加で道路混雑が激化したため定時運行が困難になったこと、また性能の良いエンジンを持った大型バスの開発が進んだことなどから、順次廃止されていった。