序文・完膚なきまでに大敗
堀口尚次
劉邦(りゅうほう)は、前漢の初代皇帝。沛県の亭長〈亭とは当時一定距離ごとに置かれていた宿舎のこと〉であったが、反秦連合に参加した後に秦の都咸陽を陥落させ、一時は関中を支配下に入れた。その後項羽によって西方の漢中へ左遷され漢王となるも、東進して垓下に項羽を討ち、前漢を興した。正式には廟号が太祖(たいそ)、諡号が高(こう)皇帝(こうてい)であるが、通常は高祖(こうそ)と呼ばれることが多い。
「一敗地に塗れる」とは、中国の『史記(しき)』「高祖本紀」の故事にある劉邦のセリフに由来する。
『始皇帝(しこうてい)が死ぬと、諸方から秦(しん)王朝に対する反乱の火の手があがった。江蘇(こうそ)の沛(はい)県の人々も反乱を起こし、首領として劉邦を招き入れようとした。すると劉邦は「今将を置くこと善からずんば〈いま将となる人を得なければ〉、一敗、地に塗(まみ)れん〈すぐに打ち負かされて、泥まみれになる〉」と、辞退した。それでも人々はみな、劉邦には以前から高貴な位になる前兆があり、彼ほどの吉相をそなえた者はいないとして、何度も要請し、しかたなく反乱軍の首領となった劉邦は、後に天下を統一して、漢王朝を開くことになったという。「血に塗れる」は「戦死した者の内臓や脳みそが地面に散らばって泥にまみれになる意」ともいう。このことから、完膚なきまでに大敗することをいうようになった。』