ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第1288話 切捨御免

序文・武士の特権

                               堀口尚次

 

 切捨御免とは苗字帯刀とともに、江戸時代に武士へに無礼を止めるように注意後も無礼を働き続けた場合に限り認められた殺人への後世の呼称である。当時の呼称は史料においては「手討」「打捨」である。切捨御免は最下級武士である足軽にも認められていたものの、無礼の様子の目撃者などの証拠や正当な理由が確認出来ない場合、所定の手続きをしなかった場合、違法である「辻斬り」として処罰された。近世において武士が耐え難い「無礼」を受けた時は、斬っても処罰されないとされる。実態としては、喧嘩による斬り捨て御免も「無礼討ち」として処理されていた。幕藩体制を維持するための観点から認められていたと考えられている。

 相手に対して失礼な態度を意味し、発言の場合〈例えば目上あるいは年上の人に敬語を使わない、もしくは失礼な喋り方をする等〉は口下手ともいわれている。また、ある言動や行為を「無礼」〈当時は、「不法」「慮外」とも表現された〉なものとみなすかどうかは個人によって相違があったと考えられるが、幕府や藩によって手討ちの対象たりうると認可された「無礼」は、2段階より構成されたと考えられる。武士に故意に衝突、及び妨害行為があった場合、これら一連の行為や言動が「無礼」「不法」「慮外」なものととらえられている。無礼討ちには、武士に対する名誉侵害の回復という要素と、その生命を脅かす攻撃から自身の身を守る正当防衛の要素が含まれていた。諸藩は江戸在勤者に対し、直接切捨御免には言及していないものの、「町民と諍いを起こさずにくれぐれも自重すべき」旨の訓令をたびたび発した記録が残っている。町民の中には、粋をてらったり、度胸試しのために故意に武士を挑発する言動をする者もいたという。そのようなトラブルを避けるために江戸中期以降にはこのような芝居小屋・銭湯などの大抵の公共施設では刀を預ける刀架所が下足所の横に設けられた。また諸大名家は江戸町奉行の与力・同心には毎年のように付け届けを行っており、彼らは正規の俸禄の数倍に相当する実収入を得ていた。

以上のように切捨御免は武士の特権として一般的に認められてはいたものの、気ままに実行出来るようなものではないため、実際に切捨御免を行い、認められた事案はそれほど多くはない。江戸後期になると、江戸市中での行列では通行人の妨げにならぬよう行列の途中で間隔をあけ、通行人の横断が許可された。