序文・架空の剣士
堀口尚次
『丹下左膳』は、林不忘(はやしふぼう)の新聞連載小説、これを原作とする映画の題名、およびその作品内の主人公である架空の剣士。昭和2年から新聞連載小説『新版大岡政談・鈴川源十郎の巻』の登場人物であった、隻眼隻手のニヒルな造型の左膳が人気となり、各社による映画化作品もヒットして、大衆文学、時代劇の代表的なヒーローとなった。
林不忘の小説で丹下左膳が登場したのは、『東京日々新聞』『大阪毎日新聞』夕刊で、「新講談」と銘打って連載された「新版大岡政談・鈴川源十郎の巻」だった。当初作者は大岡越前ものの連作長編を意図して書き始め、奥州中村6万石・相馬大膳亮の刀剣蒐集癖(しゅうしゅうへき)のために、夜泣きの刀の異名を持つ関の孫六の名刀、乾雲丸・坤竜丸という大小一対の刀を手に入れるために密命により江戸に潜入する家臣が丹下左膳であり、大岡越前の他、この争奪戦に加わった旗本鈴川源十郎、美剣士諏訪栄三郎、怪剣豪蒲生泰軒などとともに一登場人物に過ぎなかった。しかし二刀の持ち主である神変夢想流小野塚鉄斎道場への乱入を始めとして、次々と殺戮を繰り返すニヒルで個性的な人物像、右目と右腕のない異様な姿の侍という設定と、小田富弥の描いた挿絵の魅力によって人気は急上昇した。黒襟の白の着流しというスタイルは小田が創案し、不忘もこれを小説に取り入れた。
この人気にあやかろうと、2月には歌舞伎、新声劇で上演され、続いて映画会社3社が競ってこれを映画化した。主人公を演じた俳優は、団徳麿、嵐寛寿郎、大河内傳次郎だった。それぞれ独自の魅力を発揮してヒットした。新聞連載中に映画製作は始まり、作者不忘は原稿を書きながらヨーロッパ歴訪に旅立っていたため、作品の結末が決まっていないままに映画は作られた。大河内、唐沢弘光カメラとのトリオで撮影した伊藤大輔監督は、裏切られたと知った左膳が主君の行列に斬り込み、「おめでたいぞよ丹下左膳」という台詞とともに自刃するという結末として、悲劇の主人公像を作り上げた。伊藤と大河内のコンビで、独特のアクションと撮影方法の殺陣と、大河内のグロテスクとも言える憤怒の形相で、競作の中ではもっとも人気を得て、「とに角何といっても面白いんだからやり切れない。伊藤大輔って男は全くたいした野郎だ」と評され、キネマ旬報社のランキングで3位となる。